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位牌について

 

一般的解釈

予告したまま随分時間が立ってしまいました。先に出しました「位牌」とは何か?ということについて少し書いてみたいと思います。

この辺のことを考えてみるきっかけになったのは書いたかも知れませんが、お正月を能登のつれあいの実家で過ごしていた時にふと思いついたあることがらです。私は不思議に思うのですが、特定の土地にいる時に特定のことを思いつくことがあります。その土地の気が自分の気と何か相互作用をするのでしょうか。

さて、私が何を思いついたのかということを書く前に、一般的に位牌というものはどう考えられているのか、少し国語辞典などをひいてみましょう。

三省堂広辞林:死んだ人の戒名を書いた木札

岩波広辞苑:死者の俗名や戒名を記した木の札

これは国語辞典としてのひとつの態度ですね。突っ込んだ解釈をせずに事実の説明だけに留める。(もっとも「戒名」と言っては少し不正確。後述)これがもう少し大きな国語辞典になるとその突っ込んだ解釈が入っています。

三省堂大辞林:〔中国、後漢の頃、死者の官位を記すことに始まったための称という〕死者の霊を祀るため、その戒名を記す木の札。日本へは禅宗とともに伝来し、江戸時代に一般化した。霊牌。

小学館日本語大辞典:死者の法名を記して仏壇にまつる木牌。死霊供養の対象とする。儒教に由来し、禅宗とともに日本へ伝わった。江戸時代に一般化。霊牌。

どちらも由来について述べてくれています。小学館と三省堂と少し書き方が違いますが要点を述べるとこうなるようです。

 (1)儒教に由来するものである。
 (2)禅宗とともに日本へやってきた

これを裏付けて更に説明を加えているのは次の辞典です。

法蔵館仏教学辞典:霊牌ともいう。安置して祭祀するために、死者の法名を書き付けた木札。儒教の風習から転じたもの。もと、官位を記したから位牌という。生存中から作って安置供養する位牌を寿牌、天皇の寿牌を天牌という。すべての死者を供養するためにつくったものを三界万霊牌、日々位牌にする供養を日牌、毎月する供養を月牌という。

さすがに詳しい説明をつけています。

やはり位牌は基本的に中国からやってきたものだとされているようです。まずはこういう状況を見ておきます。

微かな疑問

さて、位牌が中国から来たものであるとすれば、当然その形式・名前とも中国からやってきたということになるのでしょう。しかし儒教由来ということであったら、戒名なんてのは向こうではどうなっていたのでしょう? これだけが日本に来てからのアレンジなのでしょうか。

その辺の風習を調べてみようと思い参考文献などを繰っていた所、どうもそもそも中国では「位牌」とは言わないようだということが分かってきます。

丁秀山「中国の冠婚葬祭」(東方選書)などを見ますと「牌位」という言葉が出てきます。これがどうも日本の位牌に似たもののようです。しかしどうも使用方法が日本とはかなり違うようです。中国には「位牌」という言葉はないのでしょうか? 

光生館の「現代中国語辞典」をひいてみますと、「位牌」という単語は載っていません。では何というんだろうと類義語を探していて、「牌位」と「神牌」ということばを見つけました。更に岩波の「日中辞典」を引いてみますと位牌に相当する中国語として、牌位・霊牌・霊位・神主といったことばがあげられていました。では一体「位牌」とはどこから出てきた言葉なのでしょう??

法蔵館の仏教学辞典で「官位を記したから」という説明がありましたが、これは何気なく読んだ時は中国でのことかと思ったのですが、ひょっとしてそれは日本でのことだったのでしょうか?

ここでは取り敢えずそういった疑問点を挙げるに留めておきます。

正月の発想

お正月に突然湧いた発想、それは何だったかというと実は「位牌とは魂の寄り代ではないか?」というものでした。

それは位牌と墓石との類似性がヒントでした。墓石と位牌というのは材質と大きさが違うものの、内容的には死者の名前を記したもので、同じものから出発したものではないかという気がしたのです。その中間の形式のものもあります。それは卒塔婆です。これは位牌と同様木でできていますが、墓石と同じように大きくと屋外の墓地に建てておきます。

もうひとつのヒントはその頃にスピリッツに連載されている佐々木倫子さんのマンガ「おたんこナース」で田舎の葬式の様子が描かれていたのが刺激になっています。この「おたんこナース」では非常に興味深い葬送儀礼が幾つも描かれています。まだコミックになっていない部分なので、それが待ち遠しい気分です。この中で墓の上に竹を2本立てるというものが出てきました。これは一般にはイキツキ竹と呼ばれるようですが「息付き竹」ではなくやはり「斎き竹」でしょう。そしてこれはそこに遺体が埋まっているという目印であると同時に死者の魂の寄り代であろうと考えられます。古来日本では神の寄り代としていわゆる「ひもろぎ」を立てる風習がありました。このイキツキ竹とひもろぎは余りに似ています。そして更にこういうものが墓石の原形ではなかろうかと考えたのです。

(編集注.その後収録されました)

私の母は4つの時に父を戦争で亡くしたのですが、その葬式の時に第1子であるからということで、位牌を持たされたのだそうです。ところが子供ですから訳が分からず、ぐずって位牌を放り投げたりしてひどく叱られたということでした。

一般に葬式の時に位牌は子供や配偶者など、故人に一番近い身内が持つようですが、子供がいれば両親がまだ健在でも子供に持たせるように思います。それはなぜかと考えると、子供が故人の霊を後々祀っていくと考えられるからではないか、つまり、位牌を持つということは、その代々の祭祀をしていくという意味ではないか、と考えられます。だとすると、位牌というのは祭祀する霊の投影であり、言い換えれば霊の寄り代に他ならないのではないかと考えられます。

火事にあった時にしばしば報道されるのが、一度逃げ出していた人が「位牌を持ち出すのを忘れた」といって火の中に入っていって、亡くなってしまうという事故です。位牌というのは、そんなに命をかけるほど大事なものなのでしょうか? ただ単に死者の名前を書いた木の札にすぎないのであれば、そんなもの燃えてしまったらもう一度作ればいいだけのように思います。それなのに命の危険を犯してまで取りに戻る。一体位牌とは何なのでしょう?

そう考えた時、一番納得のいく答えは、その位牌に先祖の霊が宿っていると考えているからではないかと思われます。先祖の霊が宿っている位牌ということは、それは自分の父母・祖父母と同等ですから、自分の父母がまだ火の中にいるのなら確かに危険を犯して連れ出しに戻るのも理解できます。

この辺の事情について誰か考察していないものでしょうか。

葬式について

ところで、そもそも「葬式」というものを考えてみたいのですが、これは現代の日本ではほとんど仏教の管轄になっていますが、仏教が葬式をやり始めたのは平安時代以降のことのようです。その証拠に平安以前からの伝統を守っている南都六宗のお寺では葬式は行いません。ではそれ以前は葬式はどうしていたのかというと、全て神道の管轄だった訳です。

文献的には古事記の神代で天若日子が返し矢にあたって死んだ時、喪屋を作り神饌を供え、泣き女が泣いて8日間歌舞して死者を弔ったという記事が出てきますが、これが古代の葬式の形式を伝えていると言われます。

時代的に見ると平安時代というのが、神道・仏教・陰陽道・修験道などが混然一体となっている時期で、鎌倉時代になるとそれぞれ分離独立の動きがあります。その時、もともとは神道の管轄であった葬式が仏教にさらわれてしまったようです。これはその頃活発な動きを見せた高野聖たちに帰する部分があります。

日本では平安時代ころまでは風葬が主で、天皇は別ですが、一般人のトップに立つ藤原摂関家でさえ、代々の遺体を捨てる場所があったようです。ところが11世紀頃から活動を始めた高野聖たちは、遺体を野に晒しておいては故人は成仏できないと主張し、遺骨を高野山に納めて祈祷をすることを庶民に勧めて回ります。このあたりから日本人の遺骨信仰が始まるのですが、結果的には彼らの活動は葬祭を神道側から仏教側に持ってくる役目を果たした面もあります。

援護射撃

そんなことなどなどを考えていて、何とか位牌が日本に入ってきた頃のこと、またそれ以前の葬式や先祖崇拝の形式などについて調べてみたいと思っていた時、まさに私の考えを支援してくれる本に出会いました。これです。

   五来重「葬と供養」東方出版 1992 \23,000

この本では明快に「位牌は寄り代」ということを主張していました。そして、位牌の元になった中国の儒教のものは「神主」とか「木主」というものであると説明していました。そして私が疑問に思っていた「いはい」の語源について五来氏は「斎ひ」ではないか?と推察していました。

五来氏によると、位牌が使われ始めたのは南北朝の頃からであるとされます。当時既に由来に関して諸説があったようで、位牌は死者が生前神拝の際に使用した笏(!)の形を模したものではないか、という説などもあったそうです。しかし確かにきっかけとしては儒教の風習を真似て禅宗から広まったものであるのは確かだということでした。

儒教の場合

さて、それではやはり日本で位牌ができる元になった儒教の風習というのはどのようなものであったか。それについて非常に詳しい説明をしている本にも巡り会うことができました。

  加地伸行「沈黙の宗教−儒教−」筑摩書房

この本では儒教の神主(shenzhu)について詳しい図解がなされていました。非常に面白い構造をしているのですが、まさに日本の位牌そっくりです。

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  前から見た図     横から見た図   
基本的に3つの部分に分かれており台座の上に上が丸くなっている「主身」を立て、その前に官位を書いた「前身」を差し込むようになっています。主身が少しへこんでいるのは、そこに俗名などを記入した紙を貼るそうです。つまり日本の位牌の裏に書く内容に相当します。加地氏はこの形式は裏に立てる主身は上が丸いから「後円」で、表に立てる前身は四角くて「前方」だから、前方後円の形式になっていることを指摘しています。

この神主というのは中国の伝統的な祭祀形態では祖廟の棚に祀っておくもののようですが、加地氏によれば、この神主の前方後円形というのは人間の姿を模したもので、古い時代には死んだ人の頭蓋骨を棚に並べていたとします。つまり人が死んでから2年くらいたつとそれを土の中から掘り出し、白骨化した体の頭蓋骨を祖廟に祀ったのだということです。日本でも沖縄や紀伊半島などでいわゆる洗骨の風習のあった地方があります。こういう祭祀形態はそれと同系統のものでしょう。

こういう神主のルーツをたどるとBC3000年頃の遺跡からも発見される「主」に行き着くのではないかと思います。「主」というのは軟玉でできた円柱形の道具で、その円柱の上の面に丸く広い穴が空いています。この穴に古代中国の人は何か(棒か竹か?)を立てて、神の寄り代として使用したのではないかと推定されています。これが時代がおりてきて木製になったのが神主なのでしょう。

なお、神主とほとんど同じ形のもので牌位(paiwei)というのがあるのですが、これは遠くで肉親の死を知ったものの経済的・時間的な問題その他で現地へ行って葬儀に参列できない人が使用するもので、普通の葬儀の遺体の代わりにするものです。ですから牌位は土の中に埋葬されてしまいます。

しかしいづれにしてもこういった古い祭祀形態は段々行われることが少なくなってきているようです。唯物論的な共産主義政権ということもあるでしょうし、実際問題として庶民には大がかりな葬儀をするだけの費用負担も大変なものです。

同じ儒教影響文化圏である韓国でも位牌に似たものを使用するようですが韓国の場合は基本的に全て紙製のようです。葬式の時には故人の名前や官名を記した「棺上銘旌」というものを使うそうですが、これは棺と一緒に火葬してしまうようです。また命日には故人の名前を紙に書いたものを使用し、これも終わると燃やしてしまうようです。ただし100年ほど前までは木製の位牌を使用していた家もあったそうで、そういう家では故人の位牌を棚に入れて保存しておき、命日の時にその人の分を出してきて使用したそうです。

中国の場合も神主は祖廟に祀るものですから、日本のように家庭の仏檀とお寺の位牌堂とに1つずつ祀るような形態とは使用形態が少し違うようです。そもそも「位牌」という単語は日本に来てからのもののようですし、五来氏のいう「斎ひ」に当て字で「位牌」と書かれるようになったという説もけっこう当たってるかも知れないように思います。

位牌以前の基層文化

ところで位牌という習慣は今これをお寺のお坊さんが葬式の時に戒名を書いてくれるもので、すっかり仏教的な文化と思っておられる方が多いのですが、そもそもの仏教の考え方と位牌はあまり親密性のあるものではありません。

つまり仏教の基本概念としては人の魂は輪廻転生するものという思想がありますから、49日までは法要をしたとしても、そこから先はもうその魂はどこかに転生してしまうので、「魂として供養する」ということは無意味になってしまいます。

元々のインドでは遺体は川のそばで焼いて、残った骨や灰はそのまま川に流してしまいますし、日本最大の仏教宗派である浄土真宗開祖・親鸞聖人は「自分が死んだら死体は川に流して魚の餌にせよ」と遺言しました。もっともこの遺言は実行されず、その遺骨を祀る廟が後に本願寺に発展するわけですから皮肉です。しかし今でも浄土真宗の一部の寺では位牌を作ることを否定し法名は法名軸に書きます。これは裏返せば位牌が日本古来の「魂の寄り代」として使用されてしまうことを感じ取り、仏教の原理的考えから拒絶しようとする動きと考えられます。

世界文化社の「よく分かる仏事の本・浄土真宗」にはこう書かれています。

 位牌が広まっていくとともに位牌に魂が宿るという迷信が民衆や社会の中に根付いていきました。ですからいまだに位牌は先祖そのものだとみなしている人もいます。浄土真宗で位牌を用いないのはそれが仏教にそぐわない霊魂観にもとづいたものだからです。

非常に勘の鋭い対応です。しかしここでは「位牌が広まるとともに」と書かれていますが、なぜそういう発想になったのかということを考えてみれば、そもそも魂というのは死んだ後お寺のお坊さんが言うように西方浄土へ行くのではなく、そこいらへんの「草葉の陰」に留まっているという概念が人々の間に根付いていたからなのではないでしょうか。浄土に往生した魂が位牌の所、或いは盆などに家に戻って来るはずがありません。位牌が寄り代として存在しうる為には魂は現世にとどまって、せいぜい山の上あたりに行っているのでなければなりません。その辺りに日本人の「あの世」観のダブルスタンダードが存在していることは、山折哲雄氏や梅原猛氏がかねてより指摘しているところのものです。

平安時代の故人の供養について調べてみますと、例えば源氏物語では亡くなった愛しい人の供養を光源氏はお寺に行って飾り付けをしたりしてやっているようです。つまり自宅で法要をしたりはしていないようです。参考文献などをあたってみますと、当時、故人に陰膳を供えたりすることはあったようですが、そこに位牌やそれに類するものは特になかったようです。名家などでは仏像を仏壇にまつっていたりしたようですが、それはあくまで「仏を祭る」行為であり、結果的には仏教に対してそうやって功徳を積むことが故人の供養になる、と考えたようです。

位牌が使われ始めたのはだいたい室町時代初期の南北朝のころ(14世紀)とされます。諸文献が指摘しているように禅宗から広まったようですが、禅宗でも曹洞なのか臨済なのか、そして誰が始めたのかというのは今回の調査では浮かび上がってきませんでした。16世紀に臨済宗が始めたものと書いてある文献もありましたが、それは時代が遅すぎるように思います。もっとも庶民に普及したのは江戸時代からです。

この位牌を考える上でひとつ連想するものに瀬戸内海の一部で行われていた両墓制があります。これは死体を埋める「埋め墓」とお参りをするための「参り墓」がある制度で、遺骨信仰が普及する以前のひとつの祭祀形態を伝えるものとして重要なものです。

考えてみると位牌というのは死体を埋めたお墓に対して、家庭内で祭祀を行うためのミニ墓とも考えることができますので、位牌が普及した背景には、そういったイメージも寄与していたのかも知れません。

位牌の基層文化としてもうひとつ見逃せないのは墓に立てられていた「碑」です。これは遙か昔、養老律令(718)によって定められたもので、法令によって人々は墓に「碑」を立てて、死者の名前を書き供養をしなければならないと決められていました。つまり卒塔婆の原形と考えられるものですが、当時はむしろ単なる墓がそこにあるという印であったとされます。

しかし、位牌が作られ始めた時、やはり人々はこれは墓に立てる碑の縮小コピーのようにとらえた可能性は高いと思いますし、それを仏壇に仏像と一緒に並べて毎日供養をしていれば、結果的には元からある死生観と結びつき、その位牌に特別な思いが託され、先祖の霊がそこにやってくるもののように捉えられていったのではないでしょうか。白鳳時代には故人の姿に似せて作られた仏像があったともされますが、そこまでできない一般の公家や武士たちとしては、故人と無関係の姿の仏像よりも故人の名前を書いてある位牌の方に思い入れが強くなって当然のことでしょう。

位牌の信仰というのはそうやって成立していったのではないでしょうか。

おまけ:戒名と法名

最初の国語辞典引用のところで「戒名」と「法名」について後で書きますと言ったのですが、要するに「法名」は浄土真宗の用語です。

一般には出家した人に戒律を受けたとして「戒名」が付けられるのですが、人が死んだ時、曹洞宗などは死んだ人に受戒させて「戒名」を付けます。

ところが浄土真宗の場合戒律という考え方がなく、ただ一心に「南無阿弥陀仏」と唱え続ければ極楽浄土に往生できるとしますから、戒を受けるのではなく、仏法に帰依するという意味で「法名」という言い方をしているのです。

参考文献

今回の書き込みに当たり使用した主な参考文献をあげておきます。

 三省堂・広辞林第6版 1983
 三省堂・大辞林・電子ブック版 1992
 岩波書店・広辞苑
 小学館・日本語大辞典 1989
 小学館・日本国語大辞典
 光生館・現代中国語辞典 1982
 岩波書店・日中辞典
 新日漢辞典
 法蔵館・仏教学辞典・新版 1995
 雄山閣・仏教葬祭大辞典

 世界文化社「普及版・よくわかる仏事の本・新版浄土真宗」中西智海著 1995
 社会評論社「葬からの自由」葬送の自由をすすめる会編 1991
 新潮選書「世界の葬式」松濤弘道著 1991
 新潮社「京都発見」梅原猛著 1997
 東方選書「中国の冠婚葬祭」丁秀山著 1988
 東方出版「葬と供養」五来重 1992
 小学館「スピリッツ」(どの号か覚えていません)
 第一書房「祖先崇拝と韓国社会」Rジャネリ&任敦姫著
      樋口淳・金美榮・近藤基子訳 1993
 吉川広文館「祖先崇拝の比較民族学」竹田旦著 1995
 吉川広文館「中国古代の生活史」林巳奈夫著 1992
 第一書房「中国の歴史と民俗」伊藤清司先生退官記念論文集編集委員会 1991
 筑摩書房「沈黙の宗教 −儒教−」加地伸行著 1994
 中公文庫「日本人のあの世観」梅原猛著 1993
 NHK市民大学「日本の仏教と民俗」山折哲夫著 1989
 学研「禅の本」BOOKS ESOTERICA (3) 1992
 学研「浄土の本」BOOKS ESOTERICA (7) 1993
 大法輪閣「わが家の宗教・曹洞宗」東隆真著 1983
 神宮館「生活の中の神事」田島諸介著 1985
 光文社「図解・冠婚葬祭」塩月弥栄子著 1971
 講談社「源氏物語」今泉忠義訳 (講談社学術文庫)
 講談社「古事記」次田真幸訳注 (講談社学術文庫)
このほか、私のノートから拾い出したデータについては典拠文献が分かりません。
※この論文はffortuneに97年4月に掲載されました。
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