キリスト教の宗派について

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東西教会の分裂

キリスト教はキリストの死後100年ほどの間に次第にユダヤ教から独立し、ユダヤ人だけでなく世界の民の宗教へと変貌して行きました。そしてやがて多数の信者が生まれ大きな勢力となっていきますと、ゾロアスター教系のミトラ教を国教とするローマ帝国から激しい弾圧を受けることになります。

これに対してキリスト教徒は耐えに耐え、おびただしい殉教者を出しながらも信仰を守り続けました。そしてやがて4世紀、とうとうローマ皇帝はキリスト教を公認、更にローマ帝国の国教に定め、皇帝の名において各地の教会の司祭たちを集めて教義上の論点などを討論させ統一見解の作成などをさせました。

しかしやがてローマ帝国も勢いは衰え東西に分裂、それにともなって次第に東ローマ帝国領内の教会とローマ教皇を中心とする西欧の国々の教会の間には儀式や教義の解釈などをめぐって埋めがたい溝ができていきます。そしてとうとう11世紀には東西の教会が分裂、ローマ教皇を中心とする系列を「カトリック」、東欧各地の教会のグループの系列を「オーソドックス(正教)」と言うようになりました。オーソドックスの最初の拠点は東ローマ帝国の首都であったコンスタンチノーブルでしたが、のちここがイスラム勢力の支配下に置かれますと中心地はモスクワに移りました。

プロテスタント

やがて16世紀。マルチン・ルターはローマ教皇が聖書の教えにきちんと従っておらず堕落しているのではないかと抗議、彼の同調者は「抗議する者」ということで「プロテスタント」と呼ばれるようになります。ルターに続いてジャン・カルヴァンもキリスト教改革運動を展開、プロテスタントの中で最も大きな流れを形成しました。

カトリック側もプロテスタントに対抗すると同時に自己改革をすすめ、プロテスタントに対抗して全世界にカトリックの教えを広めるための「イエズス会」のような組織が形成されたりました。

プロテスタントはそもそもカトリックに対する批判ということで出発したため、多くの派を抱えており、派によってずいぶんと教義が異なっています。中でもルター派・カルヴァン派(長老派)・バプテスト派などは大きな勢力となり、ここから更にクェーカー、救世軍などの特徴のある団体なども出ています。

英国国教会

イギリスでは少し違う動きが見られました。16世紀、ヘンリー8世は妃との離婚問題に関してローマ教皇パウルス3世と対立、ここから独立してカンタベリー大司教を中心とする英国国教会を作ってしまいました。教義的にはカトリックとプロテスタントの折衷といわれ、しばしば両者の橋渡し的な役割も果たしています。

モルモン教

正式には「末日聖徒イエスキリスト教会」といいます。アメリカのジョセフ・スミスが神と出会い「モルモン経」を授けられたといって興したキリスト教系新宗教です。初期の頃信者獲得のために一夫多妻制を行い他宗派の顰蹙を買い、スミスは暴徒に虐殺されてしまいます。しかし後継者のブリガム・ヤングは常識的かつカリスマ的な指導力で教団を建て直し、ユタ州の聖地ソルトレイクシティーを本拠地にして、広く信者を獲得しました。一般のキリスト教からは異端とみなされますが、一定の社会的地位を獲得しています。

ネストリウス派キリスト教

キリスト教の初期の教会から分裂した宗派で、中国やインドに多くの信者を獲得し、聖徳太子の時代には日本にも伝来しており、弘法大師も唐でこの宗派の勉強をしたと言われる大宗派です。現在でもインドなどでは一応名目上はカトリックといいながらこの系列の信仰を受け継いだ信者が多数います。中国では景教と呼ばれました。

グノーシス主義

基本的にグノーシスはキリスト教に限定される思想ではなく、1世紀頃から5世紀頃まで中東地区を中心に広く浸透していた哲学思想です。これは簡単に言えば神は人の心の中に存在しているのであって、その神の光を知恵によって認識することにより救いが得られるという思想です。ヒンズー教や仏教などにも見られる考え方で、シルクロードの民が信仰したマニ教において最も進化した形を取りますが、キリスト教の中でもその影響を受けた数多くの異端派を産みだし、初期のキリスト教教会において大きな論争を引き起こしました。

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