花見について

↑

花見の起源

花見が盛んに行われるようになったのは江戸時代の元禄の頃からです。最も盛んであったのは江戸で、上野・隅田堤・飛鳥山・御殿山などの桜の名所があり、ガイドブックなども作られていました。

花見には金持ちも貧乏人もそれぞれ集団を作り、弁当を持って出かけ、飲んで食って大騒ぎをしました。女性たちはきれいな服を準備し、中には衣装比べをする者たちもあったとのことです。また、中には「茶番」と呼ばれる寸劇を演じるものたちもいました。

記録に残っているある「茶番」では、女が一人急に産気づいて苦しみだした所に通りがかりの医者が介抱します。ところが医者のカバンから出てくるものは重箱や酒のつまみ、女がやがて産み落とすのは酒樽です。そして宴会が始まります。またある茶番では、子供用のかんおけを担いだ行列が来たかと思うと、かんおけの中から弁当が出てくるというのもあったそうです。

江戸後期になると常磐津の師匠や寺子屋の先生が数百人から数千人という大勢の弟子をつれて花見をする、という「師匠の花見」もよく行われました。この行列は凄いものであったようです。これは生徒募集のデモンストレーションも兼ねていました。

江戸の花見というのは、普段各種の厳しい束縛の中で生活している庶民が日常から飛び出して羽をのばし、リフレッシュする絶好の機会であったようです。花見の前日は着ていく服の準備、お弁当の準備に、照る照る坊主を下げたり、と大忙しであったようです。

野遊びと花見

都会で人々が花見をする頃、田舎では野遊びと呼ばれる行事か行われていました。これは人々が村外の眺めのいい場所などに集まり、やはり飲んだり食ったりして騒ぐというものです。この場合別に花は意識されておらず眺めの良さが優先したといいますが、農村では結果的に花もたくさん見ることができたようです。この野遊びはやがて花見とひとつづきのものになっていったようです。

長屋の花見

花見といえば忘れられない話が落語の「長屋の花見」です。貧乏長屋の熊つぁん八っつぁんらが弁当を作って花見にと出かけますが、なにせ貧乏長屋。かまぼこのつもりの大根、卵焼きのつもりの沢庵、そしてお酒は番茶の水割りで酒柱?が立つのどうのという騒ぎ。しかしほんとにお金のない人たちもそれなりに似たようなことをして楽しんでいたのかも知れません。

さくらの種類

一般に「花見」で見るものは桜です。もっとも大半の参加者にとっては桜は「さかな」にすぎず、飲み食い騒ぎ、という点に重点があるのですが。

さて、その桜ですが、一般に桜と言われているものは、バラ科サクラ亜科のサクラ亜属の属するものです。同じサクラ亜科の中には、梅・桃・杏・李などもあります。この桜の原産地はヒマラヤではないかと言われていますが、ほとんどの種は日本にだけ存在します。まさに日本の国花といえるでしょう。

サクラ亜属はヤマザクラ、ヒガンザクラ、チョウジザクラ、などに分類されますが、現在桜の代表ともいえるソメイヨシノは、ヤマザクラ系の大島桜と、ヒガンザクラ系の江戸彼岸との雑種だそうです。江戸末期頃に作られた品種で、この名前は東京駒込の染井の植木屋さんから日本各地に広まったためです。東京出身なのに「吉野」と付いているのは最初の頃この桜の系統が分からず「吉野の桜ではないか?」と噂されたことによりますが、純粋な栽培種で自生しているものはありません。ソメイヨシノは雑種故の弱さで数十年しか寿命がないそうですが、山桜などには樹齢800年くらいの古木も存在します。

さくらの語源

「桜」の語源についてはいくつかの説があるようですが、その中で面白いと思うのは「咲く」から来ているという説です。ですから富士山の神様である「木花咲夜姫(このはな・さくや・ひめ)」の「咲夜」も「桜」に転換可能だといいます。日本人が「花」といえば桜、「咲く」と言えば桜であったとすると、まさにこの花は日本人好みの花なのでしょう。

↑


(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから