神無月特集(16) 筑波山と富士山

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この物語は常陸国風土記に見られるものです。

ある時、祖神尊(みおやのかみのみこと,神産巣日神か??)が多くの御子神の もとを様子を見に回っておられた時、福慈(富士)の岳のところで日が暮れて しまいました。そこで祖神尊が、今晩泊めてくれといいますと、福慈神(*1) は、「今、新穀の初嘗で家中のものが物忌みをしておりますのでお泊めする ことはできません」と断ってしまわれました。

すると祖神尊は嘆いて、「お前の住んでいる山は、お前がここにいる限り、 夏でも雪が降り、人が近寄れないようになるだろう」とおっしゃいました。

そして祖神尊は日が暮れてしまった中を筑波の山まで来て、筑波神に宿を乞 いました。すると、筑波神は「今夜は初嘗を致しておりますが、母上様をど うしておもてなししないことがありましょうか」と言って、家にあげて飲食 物を用意して丁重に奉仕なさいました。

すると祖神尊は喜んで

愛乎我胤 巍哉神宮 天地竝斉 日月共同 人民集賀 飲食豊富 代々無絶 日日弥栄 千秋万歳 遊楽不窮

 (愛しい我が子よ、高い神の宮よ、あめつちと共に、ひつきと共に、   人ら集い喜び、たべもの豊かに、よよ絶えず、ひましに栄え、   とこしえに、遊び窮まらじ)

と歌を歌われました。そのため、現在でも筑波山には多くの人が気軽に登り、 みんなで楽しく歌い、舞い、飲み、食い、するのだとのことです。


常陸国風土記はこの物語に続いて、筑波山の男体山、女体山、その側から流 れ出す川を記述しています。この川は男女川のことでしょう。地図で見ると 男体山の頂上、女体山の頂上と、男女川の水源とがほぼ正三角形になってい ます。

ちなみに、男女川は「みなのがわ」と読みます。百人一首にも読まれていま すし、昔こういう名前の横綱がいましたね。

なお、ここに記述されている富士山の神ですが、これは木花咲耶姫ではあり ません。昔は富士山の神はそのまま、富士神であったようです。木花咲耶姫 が富士山の神とみなされるようになったのは比較的新しいようで、江戸時代 頃からとも言われます。

そして極めて余計な蛇足を付け加えると、人々が富士山に登頂するようにな ったのも、やはり江戸時代頃からのようです。それ以前は神域として、誰も 近寄りませんでした。



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