玉の輿の日(1.20)

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玉の輿の日(1.20)

1月20日は玉の輿の日です。これは明治38年(1905)のこの日、アメリカのモルガングループの総帥John Pierpont Morgan(1837-1913)の甥George Morganが、祇園の芸妓・加藤ゆきを見初めて結婚したことにちなむものです。

加藤ゆきのデータは確認できなかったのですが1963年に亡くなった時82歳であったとのことですから、この時1881年生まれとして24歳。自分の行く末を考えたい時期であったでしょう。

彼女には本来川上俊作という言い交わした恋人がいたため、ゆきは度重なるジョージのプロポーズを断っていたのですが、俊作がまだ学生で、すぐには彼女を引き取るお金が無く、また彼の家族も二人の結婚には反対だったようです。そしてとうとう彼が家族に言いくるめられて他の女性と結婚してしまったため彼女もこのプロポーズを受ける気になり、この日結婚となりました。

この時ジョージが支払った落籍料は4万円(今のお金でいうと4000万円くらい)という超高額のものです。相手がお金持ちだからというので、まさにふっかけたのでしょうが、相手は桁違いの大金持ちですので、大きな問題ではなかったようです。

私はこの時期の国際結婚で、新渡戸稲造・青山光子・清原玉・岩本ハナらと並んで、この加藤ゆきのケースに興味を感じます。その内もっと詳しく調べてみたい気持ちでいます。

東京の青山の大地主の娘・青山光子、漆工家清原英之助の妹・清原玉、などとは違って加藤ゆきのケースは芸妓であった故に「外国人に身を売った」などと言われ、当時、相当の陰口を叩かれたようです。

しかしそういう面倒な人の言葉に患わされる心配もなく、二人はすぐに渡米。後にパリに移住して、ここで川上貞奴らとも出会っているようなのですが、これについては調査不足。パリでは社交界で花形であったようですので、その時期にクーデンホーフ光子との交流があったかも知れませんが、これも調査不足。済みません。

このパリにいる時に彼女を海外に連れだした夫ジョージと死別。その後タンダール男爵という人と浮名を流していましたが、やがて男爵も死去。一時期はニースにいたようですが、1938年、約30年ぶりに日本に帰国しました。そして帰国後は京都で静かに余生を送り、1963年亡くなっています。

なお、彼女の半生は1951年帝劇で越路吹雪主演でミュージカルとして上演され戦後の人々も彼女の恋の物語を再度知ることとなりました。越路はこの劇を契機に宝塚を退団して独り立ちしています。


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