帽子の日(8.10)

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帽子の日(8.10)

8月10日は「ハット」で帽子(ぼうし)の日です。

日本では西洋系のかぶり物を全て「帽子」と呼びますが、英語ではつば(鍔)が全体にある帽子を hat (ハット), つばが無いか小さい帽子を cap (キャップ)と呼び分けます。野球帽、水泳帽、学生帽、などが cap の類です。シャワーキャップ、ナイトキャップの類も当然 cap です。フランス語の場合は種類によらず chapeau (シャッポー)になります。「シャッポを脱ぐ」という言葉がありますが、これは元々「かぶと(兜)を脱ぐ」だったのを、明治時代の人が、洒落で言い換えたものです。ちなみに「兜」は英語では helmet (ヘルメット)、フランス語ですと casque (カスク)になります。casquette と短小語尾を付けて女性名詞にすると、特にハンチングのようなタイプの帽子の意味です。フランス語にはもうひとつ bonnet (ボンネット)という言葉もあります。これはつばが完全に無い帽子で、日本で「ボンネット」といえば布製のファッショナブルなものを思い浮かべますが、水泳帽のようなものも bonnet の部類に入ります(bonnet de bain)。

帽子の起源はおそらくはかなり古いもので、人類が獣の皮や木の葉などを身にまとうようになったのと同じくらい古くから、人々は頭にも何かかぶっていたのではないかと考えられます。それは暑い地域では防暑、寒い地域では防寒、ほこりの多い地域では防塵、雨の多い地域では防雨を目的としたものであったでしょう。これは初期の段階では帽子というより頭巾(ずきん)に近いものであったと思われます。また青銅器時代になると、戦闘の際に敵の頭部への打撃を防御するための兜が発達します。

一方国家があちこちで形成され始めると、その王や豪族たちは権力の象徴として冠をかぶるようになります。中国でも漢代の頃には皇帝が「冕(べん)」という、四角い板が載った冠を付けるようになります。日本では天武天皇の時代に唐のしきたりを真似て位冠(くらいかんむり)の制度が出来ています。日本書紀の天武天皇の巻には、漆紗冠(うるしぬり・うすはた・こうぶり)および圭冠(はしは・こうぶり)といった言葉が出ていますが、この圭冠が後に発達して、「えぼし」になったようです。

という話をすると、冠を付けるのは聖徳太子の頃から行われていたのでは、という意見も頂きます。確かに旧1万円札でも有名な聖徳太子の肖像「唐本御影」(法隆寺および宮内庁蔵)には冠を付けた聖徳太子の絵が描かれています。しかし、日本書紀の冠位十二階の制定の所を見ると、当時は冠を付けるのではなく、髪を頭上でまとめてくくり、位に応じた色の布で包むのが正式となっていたようです。この絵は少し後の時代に太子を知る人たちが太子を偲んで描いたものなのかも知れません。

奈良・平安の頃の男性貴族の服装は正式の場では袍(ほう)を着て冠を付けるものですが、略装では狩衣(かりぎぬ)に「えぼし」といったものになっていました。この「えぼし」というのは、やまとことばであり「烏帽子」と書くのは当て字です。えぼしは元々は絹製の柔らかいものだったのですが、鳥羽天皇(在位1107-1123)が紙に漆塗りした硬い烏帽子を好み、それ以降その形式が定着しました。室町時代頃になると今度はこれを折り畳んだ「折り烏帽子」が現れ、下級武士のかぶりものとして定着しました。この頃までは、烏帽子を付けずに外を歩くというのは、現代の感覚でいうと裸足で公道を歩いているようなもので、かなり恥ずかしいものであったようですが、戦国期にはとてもそんな悠長なことは言ってられなくなって、武士達は普段は頭に何も付けないようになり、烏帽子は儀式などの時だけのものになっていきました。

一方女性貴族の場合は、釵子(さいし)という飾り留めを頭部に付けるだけで、室内ではかぶり物は使用せず、外を徒歩で出歩く場合に顔を完全に覆った、いわゆる「壺装束」になっていましたが、むろん貴族の女性が徒歩で外を歩くというのは、少なくとも平安前期までは普通考えられない話でした。外出は通常牛車ですが、平安末期頃には世の中があわただしくなってきたこともあり緊急の際や密かに行動したい場合に、市女笠(いちめがさ)をかぶって外を出歩くことは行われるようになっていったようです。その後安土桃山時代頃に「綿帽子」が登場、これは現在は女性の婚礼の時の服装として残っています。

西洋の帽子が入ってきたのは戦国末期のいわゆる南蛮人の渡来に伴うもので、新し物好きの織田信長などは、この西洋の帽子(南蛮笠と呼ばれた)をかぶったりしているようです。しかしこの時はあまり定着せず、日本で帽子が普及しはじめるのは、江戸末期以降の文明開化の時代を待たねばなりません。

明治4年に断髪令が出て、髷(まげ)が禁止されると、その「ざんぎり頭」を収めるのに、帽子はちょうど良かったのでしょう。男性たちの間に帽子が流行しはじめます。それを見て、当時の進歩的な女性達は自分たちも髪を短く切って帽子をかぶったりし始めます。それを見て慌てた保守的な人たちは、翌年今度は「断髪禁止令」を出して、女性はそういうまねをしてはいけない、という事にします。しかし一度味わった洋装の面白さと便利さは女性達の心から離れず、彼女らは今度は髪を束ねて帽子をかぶるようになりました。もっともこういうことをしていたのは、東京・横浜・神戸といった外国文化に直接触れている町の進歩的な女性だけで、それが一般化しはじめるのは大正ロマンの時代、モボ・モガの時代を待たねばなりません。

その頃から女性達の間でも帽子が急速に普及しはじめるのですが、この時はすぐに暗い戦争の時代がやってきて、せっかくのファッショナブルな帽子は押入の奥にしまい込まれ、モンペ姿に防空頭巾などといったことになってしまいます。しかし戦争が終わると、みんな水を得た魚のように、思い思いの髪型に好きな帽子をかぶって、町を出歩くようになりました。

現在の日本国内の帽子の販売量は年間5000万個といわれており、特に女性の間ではここ数年、紫外線対策から、つばの広い帽子が好んで買われる傾向があります。


(2003-08-09)

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