パソコンの日(9.28)

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パソコンの日(9.28)

9月28日はパソコンの日です。これは1979年のこの日、NECのPC8001が発売され、ここから日本のパソコンブームが起きたことを記念するものです。

この日発売されたPC8001はCPUにμPD780,メモリ16KBで、N80 BASIC をROM上に搭載。価格は16万8000円。カセット、フロッピー、ディスプレイ、プリンタが接続可能になっていました。当時16KBというのは広大すぎて何に使うんだ?というくらいの巨大メモリです。

このNEC製のμPD780というCPUはザイログ社のZ80の互換CPUです。Z80というのは1980年代前半には普及帯オフコンの主力CPUとして使用され、その後ゲームボーイのCPUとしても使用されています。1980年代の「パソコンマニア」たちにはとても愛された名CPUのひとつです。

μPD780というCPUはNECの技術者が、Z80の動作を確認しながら、ひとつひとつの命令の動作が同じになるように作り上げたCPUで、本当はザイログ社のライセンスを取りたかったようですが、実際にはこういう作り方をしたものはライセンスは取れません(回路自体をコピーしなければならない)。むしろザイログの権利を侵害していない可能性が高い。当時はそのあたりの業界ルールもかなりアバウトだった気もします。

元々このあたりの製造はNECの半導体部門が主導したものです。NECは当時コンピュータ部門を持っていましたが、そちらは ACOS をはじめとする大型機を販売していた部門で、そちらの部門ではこういう「おもちゃ」みたいな機械は馬鹿にされて売ってくれませんでした。

それでこのパソコンを作った人々は、価格も10万円台と家庭電化製品のような価格なので、これを家電ルートで売ることを考えました。そのため PC シリーズは新日本電気(後の日本電気ホームエレクトロニクス)から発売されることになったのです。

そしてこのPC8001が売れたことから、このプロジェクトではラインナップを広げ、下からPC2001, PC6001,PC6601, PC8001, PC8201, PC8801 と展開するのですが、結果的には最上位のPC8801 の系統のみが生き残りました。

この時期、私は人から「NECのPCって何だかたくさん種類あるけど、どう選べばいいんだろ?」と訊かれて「取り敢えず数字の大きい奴がいい奴ですよ」などと答えた記憶がありますが、だいたいそれで合っているのではないかという気がします。

PC8801は、8801MK2, 8801MK2SR/TR, 8801MK2MR/FR, 8801MH/FH, 8801FA のように発展して行っています。

PC88系統がザイログ社Z80系CPUにBASICを搭載していたのに対して、1982年に発売されたPC9801は インテル社 8086 に MSDOS という環境で提供されました。

PC98シリーズは後に 8086の互換CPUであるNEC製V30 を搭載しますが、その後また 80286, 80386 などを搭載してインテル製CPUに回帰します。

そしてPC88系がBASICを利用してゲームがたくさん作成され、ゲーム機として使用されたのに対して、PC98系はLotus123, 一太郎などが動作することから>ビジネス用として使用され、やがて同じNEC製の本来のビジネスパソコンであるN5200シリーズ(PC98と同じ8086 CPUに独自OS PTOS搭載) や下位オフコンのN6300/S3050シリーズを凌駕して、NECを代表するパソコンへと成長しました。

2013-09-28


【旧記事】

「パソコンの日」は1979年9月28日に日本電気がPC-8001を発売したのを記念するものです。無論これが日本で初めてのパソコンというわけではありませんが、これが日本におけるパソコンブームの火付け役になったことは確かで、そこからこの日付が選ばれたものと思われます。どこが定めた記念日なのかは確認できませんでした。

(日本でパソコンが最初に発売されたのは多分1972年か1973年頃だったのではないかと思います。1974年に私は出版されてから2年くらいたった古いパソコン解説書を図書館で読んだ記憶があります。)

パソコンの歴史はマイクロプロセッサの誕生とともに始まります。1969年に日本のビジコンの嶋正利がアメリカのインテルに赴き、電卓用の小型プロセッサの発注について説明しました。この時、インテルの若き技術者テッド・ホフがマイクロプロセッサという構想を披露しました。指の上に乗る超小型コンピュータの概念が生まれた瞬間でした。

それまでのコンピュータというのは、制御装置・記憶装置・演算装置というのがそれぞれ多数の真空管もしくはトランジスタの組合せで制作された巨大なものでした。しかしホフはこのコンピュータの中核部分をたった1個のICの中に閉じこめてしまおうという、とんでもないことを考えたのです。

この構想を元に1971年世界初のマイクロプロセッサi4004が誕生しました。この名前はこのプロセッサの中に4004個のトランジスタが組み込まれていたからです。このシリーズがやがて、8008, 8080, 8086, 80286,80386,i486,Pentium, PentiumII, PentiumIII と発達してきて、多くのメーカーのパソコンに組み込まれてCPUとして使用されてきました。

1974年12月、MITS社はALTAIRというパソコンを発表しますが、ハネウェル社のポール・アレンは友人の大学生ビル・ゲーツとともにこのALTAIR上にそれまでは大型機でしか動いていなかったBASICを移植することを考えます。アレンはこの作業を半月ほどでやり遂げ、発売しますと、ものすごい売れ行きになりました。このお陰で業績不振に陥っていたMITS社は大幅に業績を回復。二人はこのBASICをMITS社に30万ドル(3000万円)で売却、この資金を元手にしてMicrosoft社を設立しました。

1975年夏、ヒューレット・パッカード社の技術者スティーブ・ウォズニアックはビジネスショーで見かけた6502というモステクノロジー社のCPUに魅せられます。彼はこのCPUを購入して、友人のスティーブ・ジョブスの父親の家のガレージでパソコンを組み立て Apple と名付けて売り出しました。これは大ヒットとなり、二人はこのパソコンを売る会社アップルを設立します。

(6502は後に任天堂のファミコンに採用されました。私はこのCPU上でパソコン通信ソフトを作成しましたが、とても素敵なCPUでした。)

1973年頃、日本電気の半導体部門はインテル社のCPUの互換CPUを製造していました。しかし当時はまだ家電にマイクロプロセッサは搭載されていません。半導体部門は折角作ったCPUの販路に困っていました。この時その販路開拓について相談された渡辺和也(後に日本電気支配人,日本ノベル社長)はそのCPUに配線器具やキーボードなどを組み合わせたパソコン自作キットを作ることを思いつき、1976年8月TK-80の名前で発売します。これは当時コンピュータに興味は持ってはいるものの、近くに自由に使えるコンピュータのないマニアたちに大いにうけました。

この成功に気をよくした渡辺は続いてアメリカに渡り、当時はまだ海のものとも山のものともつかなかったMicrosoft社にビル・ゲイツを訪ね、彼らの作ったBASICを今度日本電気から発売するパソコンに搭載させて欲しいと頼みました。ゲーツはこれを承諾。ここにPC-8001の仕様が固まりました。

しかし当時日本電気はこういう製品を販売するルートを持っていませんでした。むろん大型コンピュータを売っている部門はありますが、それは何千万円もする商品。一方のPC-8001は結局16万8千円で販売されています。渡辺らのグループはこれを家電の販売ルートにのせることを考えます。このため、日本電気のパソコンの製造販売は現在でも、日本電気ホームエレクトロニクス(当時は新日本電気)の管轄になっています。

1979年9月28日に発売されたPC-8001 はCPUがμPD780,メモリ16K で、カセット、フロッピー、ディスプレイ、プリンタが接続可能になっていました。むろん16Kというのは当時としては広大すぎるくらいの巨大メモリでした。カセットは当時の主力の補助記憶装置です。

その後、このシリーズは PC-2001, PC-6001, PC-8001, PC-8801 という4つの枝に分かれますが、結局ソフト環境が整備された 8801 のみが生き残ります。そして、この日本電気のPC開発はその後、情報処理事業部に移管され名機 PC-9801 が生まれることになります。

なお、遅れて来た巨人IBMは1981年にやっとIBM-PCを発売します。その時にIBMは従来パソコンに使われてきたBASIC以外に、もっと本格的なOSを搭載しようと考えました。そしてBASICの元締めともいうべきMicrosoftに新しいOSの制作を依頼します。しかしMicrosoftはすぐにそれを作ることができなかったため、シアトル・コンピュータ・プロダクツのSCP-DOSを買収。これを改造してIBMに提供しました。これがMS-DOSです。

その後IBMのこのシリーズは PC/XT, PC/AT と発達していきました。PC/ATは現在の世界のパソコンのほとんどを占めている Windowsマシンの原型です。

この IBM-PC にシェアを奪われて業績を悪化させたのがアップルでした。ここでアップルの経営陣及び技術陣はゼロックス社でアラン・ケイという若い技術者が1973年に作り上げていた画期的なパソコン試作品を見学に行きます。そしてその素晴らしさに感動して、IBMに対抗するにはこういうパソコンを作るしかないと結論。そこで生まれたのが1983年のLisa, そして1984年の Macintosh でした。

Macintoshを見て、恐らく最もその精神に共感したのはビル・ゲイツだったと思います。彼はこれが近い将来のパソコンの進むべき方向であると直感。ただちにそれを追いかけるべく Windows の開発に取りかかります。そして極めて使い勝手が悪かった Windows1.0 を経て1988年には実用的なWindows 2.0が発売、更には1995年の Windows 95 で世界標準OSの地位を獲得しました。


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