東京神田祭(5.13-19)

↑

毎年5月の第二土曜〜日曜日には「銭形平次」などでもおなじみ東京の神田明神で「神田祭り」が行われます。2003年は5月10〜11日です。

神田明神は関東の守護神・平将門公をお祀りする神社として知られていますが、本来の御祭神は実は恵比須・大国です。大国は大国主命ですが、恵比須様には兵庫の西宮神社を中心とする蛭子系と、島根の美保神社などの事代主系、そしてもうひとつ少彦名系があって、ここの恵比須様はその少彦名命。この神田明神や四国の道後温泉はこの系統の恵比須の中心地と考えられます。道後温泉もここと同様恵比須・大国が御祭神になっています。

平将門は天皇家の血を引く平安中期の武将ですが、自身の相続問題で叔父ともめたのを機会に関東のあちこちで紛争の解決に当たる羽目になり、やがて結果的に関東の管理者のようになってしまいました。勝手なことはしないようにと再三京都からは指令が来て将門自身も最初の内は弁明に赴いたりしていましたが、次第に京都と対立せざるを得なくなり、何度か軍隊も派遣されてきます。しかしそれがことごとく将門軍に敗北してしまいました。

将門自身もこの先どうしたものかと困っていた時、突然一人の巫女が将門の陣中を訪問。「新皇を名乗り、京都からは独立せよ」との神託を与えました。しかし将門はそのわずか2ヶ月後に、少数で移動していた所を、一度は将門に破れたものの機会を狙っていた俵藤太(たわらのとうた,=藤原秀郷)らに討たれてしまいました。

将門公の首はいったん京都に運ばれますが、宙を飛んで関東に戻り、現在東京駅の近くになっている首塚の場所に落ちたといいます。この神田明神はこの首塚の近くにありました。そして時代がたって、首塚が荒れていたのを、この神田明神が合祀するようになったものです。

その後、徳川家康が江戸に入ると、家康はこの江戸に大改造を行いました。利根川の河口を江戸湾から鹿島灘へと大移動させたり、千鳥ヶ淵などの大貯水池を作ったりしていますが、この時に江戸城の霊的守護のため、神田明神を江戸城の鬼門の位置にあたる現在地に移転させ江戸総鎮守としました。そして寛永3年にはそれまで一応朝敵とされていた将門公に正式に勅免が与えられて、神田大明神の神号を受けています。

家康にとっては将門公は関東で武勇をなした古代の英雄で、守護をしてもらうには最良の存在と映ったのでしょう。なお「神田」の名は、この神社が伊勢神宮の神田(みとしろ)のあった所に建てられていたことによります。

神田祭りが始まったのも、この家康の時代からのようです。信長・秀吉の最大のパートナーとして天下統一に貢献した家康公のお膝元とあって、大勢の人々がここに集まって来ました。人々が集まると自然とお祭りも生まれます。

特にこの神田明神の神田祭りと比枝神社の山王祭りは祭列が江戸城内に入ることを許される「御用祭り」として盛んになりましたが、後にはお金がかかりすぎて大変だということで、この二つは1年交替で実施されるようになりました。実施されない年は「陰祭」といって、ごく小規模に行いますので山車の運行などはありません。ただし神田明神は1996年の神田祭の直後から社殿の修復作業(60年振りの大修理)を行っていて祭がなかったため、今年は3年振りの実施です。そのため祭りの規模もかなり大きなものになるようです。


(1999.5.13)
(2002.7.09修正)


↑ Dropped down from 今日は何の日.
(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから