大宮氷川神社祭(8.1)

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大宮氷川神社祭(8.1)

8月1日は大宮の氷川神社の例祭です。

氷川神社は全国に200社ほどありますが、そのほとんどが関東の地に集まっており、その中心がここ大宮の氷川神社です。そして、そもそもこの「大宮」という名前はここに氷川神社の本宮があったために起きた地名です。

氷川神社の御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)で、合わせて奥様の稲田姫命(いなだひめのみこと)と子孫の大己貴命(おおなむちのみこと)を祭っています。古くはこの敷地内に須佐之男を祀る男体社、稲田姫を祀る女体社、大己貴を祀る簸王子社(ひおうじしゃ)があって、それぞれが別の家系の神官によって管理されていましたが、明治以降はひとつの社殿にまとめられました。

(大己貴命は別名の大国主命(おおくにぬしのみこと)の方が有名です)

氷川神社を作ったのは出雲系の氏族・武蔵氏。武蔵氏は関東の地を開拓しながら、出身地の出雲の祖神である須佐之男命を祀る神社を作っていきました。「氷川」とは須佐之男命ゆかりの出雲の肥の川(簸の川)にちなむもので、最初はこの肥の川の川上に鎮座する杵築大宮(出雲大社)を勧請して建てたとも言われています。

(この肥の川の氾濫を鎮めて治水工事を行った故事が、須佐之男命のヤマタノオロチ退治の伝説になったのではないかという説もあります。)

須佐之男命をお祭りする神社は何系統かあります。発端は出雲の須佐神社と思われますが、その中でも実は須佐之男命をそのまま祀っている神社の中では氷川神社が最も大きな勢力です。

恐らく最も数が多いのは熊野神社の系統。熊野神社というと和歌山というイメージがありますが、これも発端はやはり出雲の熊野大社(出雲一宮)です。ここから和歌山に勧請されていった神がその後修験道とともに全国に広まりました。この熊野権現が須佐之男命と同一視されています。

その次に多いのが恐らく八坂神社(祇園社)及び津島神社です。その御祭神は牛頭天王ですが、この牛頭天王も須佐之男命と同一視されており、その中心地は京都の八坂神社と愛知県津島市の津島神社です。京都の八坂神社も愛知の津島神社も、新羅から須佐之男命から来臨したとしています。実は確かに須佐之男命は朝鮮半島に関わりの深い神なのです。日本書紀に掲載されている異説のひとつでは須佐之男命は天から降りてきた時最初朝鮮半島に降りて、その後日本にやってきたと書かれています。

さて、話を戻してこの氷川神社ですが、現在の中心地はここ大宮のものですが、あと3つほど重要な拠点があります。ひとつは浦和の氷川女体神社。ひとつは所沢の中氷川神社。そしてもうひとつは氷川町の奥氷川神社です。この奥氷川神社こそが最初に建てられた氷川神社で、関東の氷川神社の発祥の地かも知れないとも言われています。


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