双六・福笑い・歌留多

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さてお正月の遊びで、先に独楽・凧・羽子板といった戸外での遊びを取り上げたのですが、室内でやる遊びといえば、かるた・すごろく・福笑いなどがあります。

すごろく

今行われるのは紙双六・絵双六などといわれ、人生や旅をテーマにして振り出しから上がりまで、サイコロを振って駒を盤の上で進めていくもので色々なバーリエーションがあります。うちでは「日本一周特急ゲーム」なんてのに一時期ずいぶんはまりました(^_^) 昔好きだったのでは真ん中にルーレットがあって、その上に駒がのるとサイコロの目で回転させられ、次はどちらに向かって行くか分からないというもので(^^)上がりそうになっている人が突然ビリになったりして、非常にエキサイトしました。

古くはこういった双六の他に、盤双六とよばれるものもありました。これは現在西洋では「バックギャモン」の名前で知られているもので、紙双六とは全く異なった遊びです。

この盤双六のこと、そしてそれが実はバックギャモンであることは、最近まで多くの人が忘れていたのですが、最近陰陽道に興味を持つ人が増えたことにより、徐々に知られるようになりました。

基本的には自分の陣地にいくつかの石を起き、交互にルールに従って石を進めていきます。そして全ての石が相手の陣地にたどりつけば勝ちです。ある一定のパターンで石が並んでいると相手は動けないので、そのような配置を作りだしたりなど、いろいろな高度のテクニックがあったようです。ダイヤモンドゲームに似たもの、という解説も時々見ますが、あながち外れていないのではないかと思われます。

盤すごろくについて詳しいことはこちら

福笑い

これは一般にお多福の顔のりんかくだけが描かれた紙があって、そこに目隠しをした人が別途用意された口・目・鼻などの描かれた紙片をのせて遊ぶというものです。顔の部品がとんでもない所に置かれるのが、このゲームのおもしろさです(^_^)

かるた

伝統的な正月の室内の遊びの中で今でも最も盛んに行われるのがこのかるたです。かるたはポルトガル語のcartaから来たものですが、江戸時代にはすっかり日本のものになり「歌留多」などというきれいな漢字なども出てきました。

天正年間に入ってきたcartaは48枚セットで「天正カルタ」の名前で普及しました。この当時のカルタの版木が1つだけ福岡県大牟田市のかるた美術館に残っています。また印刷したものが1枚だけ兵庫県芦屋市の滴翠美術館に残っています。

天正カルタは博打(ばくち)に使われたため禁令が出て、そのため禁令回避のため75枚セットの「うんすんかるた」も作られました。「うんとかすんとか言え」の「うんすん」です。また、天正カルタをヒントにして全く新しいコンセプトのかるたも江戸時代に幾つか生まれています。

それが今に伝わる、百人一首・いろはカルタ・花札です。

百人一首は藤原定家が鎌倉時代に選定したものですが、以前は色紙に絵を描き、それに歌を添えて愛でるという優雅な遊びだったのですが、それがこのころ、かるたに描かれ、貝合わせの要領で遊ぶやり方が生まれました。この百人一首のよい所は年頃の男女が一同に会して一緒に楽しむ場ができるということで、今のように自由に男女が交際できる時代ではなかったころ、百人一首をするカルタ会というのは魅力的な場であったようです。

いろはカルタは、やはり昔からあった「いろはたとえ」をかるたに描いたもので、嘉永年間(1848-1854)頃に成立し、明治時代に「江戸いろはかるた」として全国に普及したものです。そういう訳で「いろはかるた」は古いものと思っている人が多いですが、実は幕末に生まれた新しい遊びです。当時のセットは今では差別用語が含まれているため出版不可能になってしまいました。見たい方はこちらをご覧下さい

花札もまた古くからある「花合わせ」を江戸時代にカード化したものです。花合わせは色々な花を合わせたと思われますが、天正カルタに合わせて48枚セットを作ったようです。12月の花を桐にしたのも、天正カルタの一番上のカードが「キリ」(ピンからキリまでの「キリ」だからともいわれます。この花札を作って一世を風靡したのが今も存続する天狗屋です。ゲーム機でおなじみの任天堂も花札からスタートしていますが、創業は新しく、明治時代になってからです。


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