お水取り

↑

東大寺二月堂のお水取りは奈良に春を告げる行事です。これが終わると奈良に春の兆しが現れると奈良の人たちは言います。

闇の中に熱く燃え上がる大きな松明。僧の走る音。響きわたる真言。そして秘儀の中に行われる若水汲み。


今年の練行衆

2011年のお水取りの練行衆は次の11名です。これは例年東大寺の初代別当・良弁僧正の命日12月16日に発表されることになっています。 和上(わじょう) 筒井寛昭・龍松院住職 練行衆一同に八斎戒を与える 大導師      平岡昇修・上之坊住職 お水取りの最高責任者 咒師(しゅし)  橋村公英・正観院住職 道場を結界し、護法善神を勧請 堂司(どうつかさ)田方広真・景福寺住職 法会の進行から庶務全般を司る (以下平衆) 北座衆之一    鷲尾隆元・地蔵院住職 南座衆之一    森本公穣・清凉院住職 北座衆之二    尾上徳峰・祥明寺住職 南座衆之二    橋本聖顕・龍蔵院住職 中灯(ちゅうどう)佐保山暁祥・宝珠院住職 権(ごん)処世界 筒井英賢・新禅院住職 処世界      中田定慧・新薬師寺徒弟


修二会

一般に「お水取り」の名前で親しまれていますが、正式には「修二会」(しゅにえ)と呼ばれます。これは毎年3月1日から14日まで二週間続くお勤めですが、その中でも12日の夜(13日早朝)にひっそりと非公開で行われる若水汲みが特に又「お水取り」と呼ばれます。

修二会の通しての日程は次のようになっています。

2月15日新入の参籠者と大導師が一足早く戒壇院に入り準備開始
2月18日ご本尊の観音様の縁日なので月例法要を行う
2月20日他の練行衆も入って別火の前行が本格的に始まる
2月26日この火からは総別火になり外出禁止
2月28日夕方、大中臣祓詞を黙読
3月1日法会開白。八斎戒を行い、三社にお参りする
3月5日2月堂開祖の実忠和尚の命日。過去帳を読み上げる。
3月7日小観音さん。後堂の小観音の厨子を礼堂に移す。
3月12日この日から3日間、クライマックスの達陀が始まる。
3月13日午前2時頃閼伽井の水を汲み上げる(非公開)。
3月15日破壇。道場を片づけ、三社にお礼参り。

別火

一般の生活の火とは隔離した火で生活すること。修二会の別火は結界内で火打ち石で起こした火を使用している。20日から25日までは試別火(ころべっか)といって、自坊に忘れ物を取りに行ったりすることが許されている。25日には捨火といって各自が自坊で家族とともに夕食を取り、そのあとは総別火で外出禁止になる。

紙衣

練行衆が修二会の間着る服は紙衣である。仙紙という強い紙を棒に巻き付け竹の輪でしごいて柔らかくする。これを寒天を塗って張り合わせ衣にする。これが修二会の終わりの頃には松明などのすすで黒くなり、荒行によって破れたりしている。

大中臣祓・三社参り

仏教の中心地のひとつ東大寺であるのに、修二会の始めと終わりには二月堂の回りに勧請されている三つの神社にお参りする。興成社・飯道社・遠敷社である。そもそも東大寺の大仏を鋳造する時は八幡神の協力があった。ここは仏教と神道が美しく調和している場所でもある。修二会で使用される大中臣祓は通常神社で6月・12月の末日に読まれる大中臣祓とは少し文面が違うらしい。

六時のお勤め

修二会の間、練行衆は日に6度のお勤めを行う。日中、日没、初夜、半夜、後夜、晨朝である。お勤めの長さはそれぞれ異なり、内容も簡単なものから複雑なものまで様々である。

過去帳

過去帳の読み上げは3月5日と12日に行われる。が聞き取りたい人は5日に行った方がいいらしい。12日は達陀を見るために大勢の人が来ているので、ざわざわして聞こえないのだそうだ。この過去帳は2巻になっていて、1巻目は「聖武天皇・皇太后・光明皇后・行基菩薩・孝謙天皇・藤原不比等・橘諸兄・良弁僧正・実忠和尚・・・・・」と東大寺創建に縁の深い人たちが冒頭に並んでいる。これが13世紀末までをカバーしていて2巻目はそれ以降の人たちである。1巻目は全て読むが2巻目は時間を見て飛ばしながら読む。過去帳にはこのような有名人だけでなく、東大寺を建てるのに活躍した大工や左官などの人々も「何千人」といって記されている。

青衣の女人

鎌倉時代に修二会で過去帳を読み上げていた時、突如として僧の前に青い服を着た女性が現れ「何故私の名前を読まないのか?」と怒ったように言って、そのままかき消すようにいなくなったという。むろん女人禁制の戒壇の中である。僧たちはみんなで該当しそうな人を考えてみたが、どうしても分からなかった。そこでやむを得ず「青衣の女人」(しょうえのにょにん)と書き加えた。この名前は源頼朝から18人目の所に記載されている。

走り

3月5〜7日、12〜14日、僧たちは礼堂をひた走る。この行にはこういういわれがある。修二会を考案した実忠和尚は天平勝宝4年(752)笠置山に参籠した時、夢に兜卒天の観音さまの行を見て感激、ぜひこれを自分もやりたいと言った。ここから修二会が始まる訳だが、この時観音様は天の世界の1日は人の世界の400年に当たるので同じことは無理ではないかと言う。そこで実忠は時間が短い分走って行をします、と答えた。このため僧たちは天に追いつくために走らなければならないのである。

小観音

2月堂の御本尊は十一面観音菩薩だが須弥壇上の大観音と後堂の小観音がある。修二会の前半(上七日)は大観音、後半(下七日)は小観音がお勤めの本尊であるといわれる。ちなみにどちらも厨子の中に安置されており、絶対の秘仏になっている。


お水取りとお水送り

3月12日の深夜、咒師以下の練行衆が南石段を下りて閼伽井屋(あかいや)に入り、この中で若水を汲みます。

(閼伽とは梵語のアルガの音写で水のこと。英語のアクアと同じ語源です)

実忠和尚が修二会に諸神を勧請した時、若狭の遠敷明神だけが釣りに夢中になっていて遅刻してしまいました。修二会の様子に感動した遠敷明神は遅刻したお詫びにと若狭からこのお勤めに水を送ることを約束します。

その時、若狭国の鵜瀬の地の地面の中から白い鳥と黒い鳥が飛び立ち、その飛び立った後から霊泉が湧き出したといいます。この水が地中の水路を通って、東大寺の閼伽井屋に再び湧き出すとされています。この水が内陣の香水として利用されるのです。

この香水はこの修二会で3荷(3荷半との説も)汲み上げられたのち、須弥壇の下の香水壷に1年間蓄えられており、聖水として信者にも分け与えられます。

なお、送り出す側の、鵜瀬の遠敷明神を祀る神宮寺(小浜市)では毎年3月2日に「お水送り」の儀式を行います。


籠松明(かごたいまつ)

修二会は火と水の行です。

この行の中では何種類もの松明(たいまつ)が使われますが、特にクライマックスとなる、十二日目の行で使われるのは8キロもある籠松明。

十一人の練行衆の前に十一本の松明を持った童子が行き。童子たちが大きな松明を振り回し、欄干の下で参拝に来た人たちが燃え差しを拾います。

この松明は毎朝、その日使う分を童子の人たちが作ります。そこで使われる竹は綴喜郡田辺町でとられたものです。

田辺町では毎年2月11日に「竹送り」の儀式を行います。根付きのまま掘り起こされた竹を、まず安全祈願し、途中帆掛け船に乗せ替えて木津川を下ったりしながら、二月堂に奉納します。


達陀(だったん)

十二日目の深夜若水汲みが行われたあと、少しユーモラスな達陀(だったん)が行われます。

咒師が鈴を鳴らし、結界を行って、このように叫びます。

『奉請 水天 火天 芥子 楊杖 大刀 香炉 鈴楊杖 法螺』

するとその言葉に合わせて、金襴の達陀帽をかぶった8人の法師が飛び出します。

はじめに水天が走り出て飛び上がりざま香水をまき、すぐに引っ込みます。続いて火天が走り出て、柄香炉の火をまきます。そのあと、はせ・楊子・大刀・錫杖・金剛鈴・法螺貝などを持った小鬼たちが飛び出してきて大騒ぎになります。

大きな達陀の松明を振り回す火天、酒水器と散杖を持った水天が対峙し、法螺貝や鈴錫杖の音が鳴り響きます。八天たちは走り、踊り、乱舞します。

水と火が調陽するところ。それが達陀であり、修二会なのです。

なお、達陀というのは「焼く」という意味の梵語だそうです。心の穢れを焼き尽くし、新しい水で浄化する。

それは新しい春の始まりのための行事であり、また、修二会が始まった当時、大仏製造のために重金属で汚染されていたこの土地をきれいな状態に戻すための儀式でもあったのでしょう。

なお、これだけ火を振り回して火事になったりしないものかと見ている方は不安になることもあるそうですが、実は二月堂は1度だけこの達陀の火で燃えてしまったことがあり、現在のものはその後再建されたものです。しかし1200年前からやっていて1度しか燃えたことがない、というのはこの行がいかに神仏の加護を受けているかの現れでしょう。


↑


(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから