聖ルチアの日(12.13)

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聖ルチアの日(12.13)

聖ルチアというよりも「サンタ・ルチア」といった方が通りがよいでしょう。聖ニコラウスよりも少し前の時代の人で304年のキリスト教迫害で殉教しています。

彼女はシラクサの人でしたが、聖アガタ(祝日2.5)の噂を聞き、病気の母の快癒を祈るため母と共にシチリア島のアガタの墓を訪れました。その時教会でミサが行われており、たまたま母と同じ病気の女がキリストによって癒やされる聖書の一節が朗読されていました。親子は感動して神に祈りそして聖アガタの墓の前でまた母の治癒を祈りました。

その時ルチアは突然眠りに落ち、夢の中に聖アガダが現れて告げました。「ルチアよ。何故私に祈るのだ。そなた自身が母を癒やす力を持っているというのに。見よ。もうそなたの母の病は治っておるぞよ」。そしてその言葉の通り、母の病気は完全によくなっていたのです。

ルチアは感激し、この身を神に捧げるとともに自分たちの財産も全て神様の意思に従って貧しい人々に分配してしまおうと考えました。親子がたくさんの施しをしていると、ルチアの婚約者が心配してやってきました。

「ルチアよ、あなたは最近ずいぶんと慈善事業をしているが少しやりすぎではありませんか?この調子では貴方は財産をなくしてしまいますよ」ルチアは静かに答えました。「いえ、あなた。私はもっと有利な財産を見つけたので、それを手に入れる為にこういうことをしているのです。あなたも手伝って下さい」

無論ルチアが言ったのは神の国へ行くための財産のことでしたが、そうとは気がつかない彼女の婚約者はそれではと親子を助けて、益々貧しい人々を救う事業に力を入れました。そうするとあっという間にルチアと母の財産は無くなり、二人は無一文になってしまいました。

そこまで来てルチアの婚約者は自分がどうもだまされたらしいと気付き、怒ってルチアを禁じられているキリスト教徒であるとして当局に訴え出ました。

裁判に掛けられたルチアは頑として改宗を拒否しました。そこでルチアはお前は聖人だというからそれにふさわしく、聖殿巫女として働くようにという判決が下りました。

聖殿巫女というのは、聖殿を訪れた信者と床を共にしてお告げをする巫女兼娼婦といった職業です。これは当然キリスト教の教えには反する仕事なのでルチアはそれを拒否して、それなら私はここから一歩も動きませんと宣言しました。

屈強の男が数人がかりでルチアを引き立てようとしましたがダメでした。軍隊が動員されて何十人がかりで動かそうとしてもだめでした。とうとう縄を掛けて牛を何十頭も仕立てて引こうとしましたが、それでも動きませんでした。

最後にはとうとう千人の兵隊と千頭の牛で引いて行こうとしましたが、それでもルチアを動かすことはできませんでした。

そこで仕方なく、ルチアはその場で処刑されてしまうことになってしまいました。そして刑吏が彼女の喉を引き裂きましたが、それでもルチアは大きな声でこう叫びました。

「みなさんにお知らせがあります! 今日キリスト教徒を迫害していたディオクリティアヌス帝がその地位を追われました。迫害は終わりを告げたのです。そしてわが姉アガタがカタニアの守護者となったように私はこのシラクサの守護者となるでしょう」と。

彼女の声が終わらぬ内にローマから使者が到着し彼女の言葉を裏付けました。ルチアは重傷を負いながらもそこから一歩も動きませんでした。そしてそのままそこで亡くなり、その場に彼女の墓が作られ、やがてその場所に教会が建てられました。

聖ルチアはその名前が光という意味であるため(日本人なら光子でしょう)、光と関連してガラス工の守護者、眼病の守護者、そして喉を裂かれたので喉の病気の守護者とされています。

またそれと関連して彼女が目をえぐり出されたという伝説も伝わっています。これについては、彼女の美貌に惹かれてに多くの求婚者があったため、それを退けるために自ら目をえぐってしまったというエピソードが伝えられています。しかし神の力により奇跡的に治ってしまったといいます。このエピソードは上記の伝説とはうまくつながってくれません。

また聖ルチアは民間伝承では天の光を運ぶ聖女とされ、また暗闇に光を与える女神、火を産み出す女神ともされています。そして彼女の祝日は冬のさなかに大いなる太陽の季節の復活を祈る祝日としての性格も持っているようです。元々はシチリア島シラクサの聖女ですが、初期の頃から広い地域で信仰され、特に北欧での信仰は厚いようです。


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