切れた枝

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(1)多機能パソコン

1980年代に各社から後に「多機能パソコン」と呼ばれるシリーズのパソコン が売り出されました。

基本的には汎用機の端末あるいは小さな企業や商店などの事務管理に使用す ることを想定し、メーカーで用意した各種のビジネス用ソフトを添付して、 主として販売店経由で企業向けに売られていました。

多くのメーカーから出ていたと思うのですが、私の記憶に残っているのは、 日本電気のN5200(1982-1993)と富士通(PANAFACOM)のF9540II(1981-?)のみで す。実は多数の多機能パソコンの中で最後まで生き残ったのがこの2つでし た。ここにソードのPIPSなども入れていいのかも知れません。

多機能パソコンに対して、PC9801やFM16などは「汎用パソコン」と呼ばれま す。その大きな違いはOSとサポート体制にありました。汎用パソコンはOSと して主としてMSDOS(初期の頃はCPMもある)を使用し、基本的には売り切りで 買った人は自分で勝手にカスタマイズして下さいという路線ですが、多機能 パソコンの方は一般に独自のOSを搭載し(汎用OSも乗せれば使える)、販売店 が細かいフォローをしていました。

しかし結果的にこの路線は行き詰まります。

理由は色々あったと思うのですが、ひとつはやはり月額レンタル料何百万〜 何千万円などといった汎用機のビジネスに比べて、パソコンは1台200〜300 万円の売り切りの世界なので、細かいフォローをしていいては割が合わなか ったという面があると思います。

またMSDOS上で次々に良質のソフトが開発されていく中、あくまでメーカー の独自開発でソフトを提供していた多機能パソコンは太刀打ちできなかった という面もあるでしょう。

(これと似た話は次回マックについての話の中でも出てきます)

そんな中、日本電気のN5200は累計売上が恐らく400万台くらいという当時と しては立派な成績を納めますが、これはN5200でしか動かない LANPLAN とい う優秀なソフトのお陰だったといっても過言ではありません。

LANPLANは名前から類推されるように Multiplanのクローンですが、単なる クローンではなく、本当に使っている人の身になった独自の拡張が行われて おり、当時汎用パソコンで人気が出つつあったLotus1-2-3と比べても遜色の ないものでした。またN5200はまだCPU自体がマルチタスクをサポートしてい なかった i8086の時代から完全なマルチタスクで動いていました。

これは恐らくホストマシンと通信しながら、別のタスクで作業を続けるとい った運用のために頑張って組み込まれた機能と思われます。しばしば2つの タスクに同じプログラムを動作させて、ひとつの画面でデータを入力し送信 キーを押したら、画面を切り替えてもうひとつの画面で次のデータを入力す る。それで「Back Wait」の表示が出たら先ほどの結果を確認する、などと いった運用が行われているのを見かけました。

しかしまぁこれも「汎用機からの返事は遅い」という当時の前提の上に成り 立っていた運用方法かも知れません。

N5200は当初モデルのN5200/05(i8086-5MHz), 改良版の05mkII(i8086-8MHz), の後、コンパクトタイプの03, 高機能機の07(i80286〜),そのほかラップト ップ型(これもすさまじく重かった)も出ました。

このマシンは同社の下位オフコンN6300/50(N)の機能をインテル8086CPU上で 動かしたようなマシンで、N6300とN5200はソースレベルの互換性がありまし た。このN6300というのは関係者から聞いたところによると(Honeywelの?) MTS7500というちょっと変わったマシンをベースに作られたものだそうです。

N5200はCPUがインテルであるため内部はASCIIコードで動作しているのです が、上位機との融合性を重視してファイルは全てEBCDICで書かれていました。
そのため、データは読み取り/書き込みの際、自動的にJIS←→EBCDICの変換 が行われるため、ソートを掛けた後でプログラムでデータを読み込み処理し ようとすると当然の結果として順序に並んでない(^^;ということで、N5200 プログラマはこの折衷方式に泣かされたものです。

しかしこの名機N5200の初期モデルを作った部隊はその後別の方面に移され てしまいN6300/50Nの後継機N6300/55を作った部隊がその後のN5200のシステ ムを開発したようです。この6300/55というのは信じがたいほど遅く使いに くい迷機で、私はその話を聞いた時、ひじょうに残念に思いました。実際問 題としてN5200はmkII以降あまり性能を上げておらず、日本電気は上位オフ コンS3100の機能強化に力を入れます。

そんな中、富士通が9450IIの路線をギブアップ。FMシリーズに統合します。

N5200はその後もかなり長く使われ続け、同社の電子レジなどにもそのコア が組み込まれたりしますが、最終的に1993年、PC9801上でN5200のOSを動作 させるモデルが発売されてN5200の歴史は終了しました。

私はこのN5200のファイルをPC9801上でMSDOSに変換するフリーウェアを作っ てNIFTYのFLABOに出していたのですが、これに関する照会が1997年頃まで来 ていたと思いますので、その後もかなり長時間、このマシンは使われたもの と思われます。

(2)MSX

MSXは1983年6月にMicrosoftとアスキーとの共同提唱により始まりました。

当時アスキーの西和彦はMicrosoftの副社長を兼任(1980就任)していました。
このMSXのプロジェクトはこの西和彦の主導で行われたものと思われ、シス テムは両者の共同開発でした。(一度OSのソースリストを見たことがありま すが、非常にコンパクトなものでした)。一説によると大半は西とGatesの 二人で書いたとも聞きます。

西はパソコンが普及しはじめた当時の状況の中で、8ビットパソコンを家庭 で楽に使えるようにする新しい規格を作ろうとしていました。当時8ビット のパソコンではCP/MやBASICなどの汎用OSが動作していましたが、それでは 素人は手が出ないので、誰でも使えるパソコンを、というのが西が目指した ものであったと言われます。

当時西は国内の主要パソコンメーカーを回って説得を続け、結局大手の中で PC88を持っていた日本電気とMZを持っていたシャープを除いた14のメーカー がMSXを搭載したパソコンを販売することになりました。実際に発売される のは同年10月になります。

MSXはゲーム機の仕様というわけではないと思うのですが、スプライト機能 やRF接続機能、そして音源内蔵といった、ゲーム機用の仕様を持っていま した。そして実際MSXで動いていたソフトの大半はゲームであったように思 います。ワープロなどのビジネスソフトもありましたが、あまり目立たなか ったようです。

ところがゲームソフトが主となった場合、MSXの前には強力なライバルが存 在しました。1983年7月任天堂から発売された「ファミコン」です。

価格的にMSXは2〜3万円くらい。ファミコンは14,800円。MSXのCPUはZ80,フ ァミコンのCPUは6502でパワー的には似たようなものですが、ファミコンは CPUとバスで直結された画像処理専用LSIを持つなど、ゲーム専用にハードが 設計されているため、MSXはゲーム機として見た場合多くの人の目には高価 な上に機能が落ちるマシンに見えてしまいました。

更に、やはりこのプロジェクトに日本電気・シャープという最大手が参加し なかったことは暗い影を落としていました。

1985年にMSX2が発表されますが、この時点で当初参加した14社から約半分の 6社が脱落。ここで富士通も消えてしまいます。富士通はFM77などに走って 行くことになります。またMSXは海外でも販売されたようですがMSX2以降は 日本でしか発売されていません。そして1986年アスキーとMicrosoftは提携 を解消。西はMicrosoft副社長を辞任し、このあとMSX規格はアスキーのみ で支えていくことになります。

1988年にはMSX2+が発売されました。このMSX2+でやっと日本語がまともに 使えるようになったように思いますが、マシンもかなり高価になっていまし た。この時点で残っていたのは松下・ソニー・サンヨーの3社です。

そして1991年MSXの最後の規格 MSX-TurboR が出た時、これに対応するマシ ンを出したのは、なんと松下のみでした。

MSXの失敗の最大の原因は最大手の日本電気を口説き落とせなかったことと いえます。日本電気が入っていないことから、MSXを「弱小メーカーが集ま って作った規格」と見る人もかなりありました。また更に寄り合い所帯の 弱さがありました(これはAXも同様)そして下からは任天堂のファミコンが 出てきたこと。またMicrosoftがIBMと接近してOS/2の方へ行ってしまった こと。そして1980年代後半に入るとパーソナル・ワープロが出てきてビジ ネス・ユーザはそちらに流れてしまったこともありました。

MSXは総計で恐らく200万台くらいしか売れていないと思いますが、ファミコ ンの販売台数は4000万台。完璧に1桁違います。

MSXマシンは現在でもまだ頑張って使い続けている人があります。またWin dowsやUNIX上で動作するMSXエュレーターも出回っているようです。

(3)マルチメディア・パソコン

恐らく今でも使っている人がかなりあると思うのですが、シャープのX68000、 富士通のTOWNSといった、マルチメディアに特化したパソコンというものが ありました。日本電気のPC98Multiなどというのも入れてもいいかも知れま せん。いづれもそれなりに人気を博したと思うのですが、後続機が出ず、枝 は切れてしまいました。今後もこのタイプのパソコンは出るかも知れません。

X68000は1987年の発売です。名前の通りモトローラの68000をCPUに採用して おり、画像処理関係の環境がよくそろっていました。ネーミング的にはシャ ープがそれまで発売してきた X1 の名前を継いでいますが、X1 がZ80をCPU にしたBASICマシン(Hu-BASIC)であったのに対して、X68000は ハドソンが 開発した Human というOSを搭載していました。

当時PC98が16色出るのでも十分すごかった時代にこのマシンは65536色出て いましたし、サウンドは8音も出て、マルチメディア機能としては最高のマ シンでした。操作もビジュアル的で、かなりわかりやすいものでした。開発 ツールも早々に発売され、X68000は画像や音楽の処理をしたい人にとっては ひじょうに優れたマシンに映ったと思います。

もしこのマシンにQuak XpressやPhotoshop, Illustrator のようなプロユー スのソフトが移植されていたら、このマシンは今でも健在だったかも知れま せんし、ひょっとしたらシャープがAppleを吸収して、一大マルチメディア 帝国を築き上げていたかも知れません。

いくつか弱点をあげると、これだけ画像処理の機能が充実しているのに出力 系が弱く、当時手頃な価格でいい発色をするカラープリンタがなかったこと、 またビジネスソフトに弱かったことなどがあげられそうに思います。私はこ のマシンが出た当初シャープのショールームにデモを見に行ってワクワクし たのですが、プリントアウトを見てほんとうにがっかりしました。

また、なんといっても当時Macintoshが急速に安くなって来つつあった頃で、 どうしてもMacの亜流と思われてしまった面もマイナスでした。シャープは 早めに68030に移行すればよかったと思うのですが、X68030が出たのは1993 年。ちょっと遅すぎました。この時期はもうWindows 3.x が急速に勢力を 伸ばして来た時期なので、いくらスペック的に優秀なものを持っていても 厳しかったと思います。

富士通のFM-TOWNSは1989年に発売されました。

この時富士通はこのマシンに関する情報をずっと押さえていて「○月○日 パソコンが変わる」といった感じのコピーだけをCMで流し続けていました。
そしてみんなが「なにをするのか?」と注目していたところに出たのがこの TOWNSでした。

CPUはインテルの80386-16MHz, 当時まだ珍しかったCD-ROMを標準搭載し、 HardDiskはわざと付けませんでした。すべてのソフトをCD-ROMから実行しよ うという大胆な発想です。これはソフトの「インストール」のような作業が 必要ないことを意味しますし、ソフトが「競合して」不具合が出ることもあ りません。

つまり、この方式というのは、パソコンに詳しくない一般の人にとっては、 ひじょうに素晴らしいものだったと言えます。

これはPC88vsFM7, PC98vsFMR とどうしても日本電気に勝てずにいた富士通 が起死回生の策として作り出したものです。

基本的にこのTOWNSの売れ行きは悪くなかったと思います。当時CD-ROMが標準 で利用できたのはこのTOWNSとNeXTくらいで、十分先進的なマシンでした。

しかしこの秋富士通はひじょうに残念な方向転換をします。ハードディスク の装備でした。この方針転換により、TOWNSはふつうのパソコンになってしま いました。しかもやがてWindowsが普及し始めると、なんと「TOWNSでもWin dowsが動きます」などということにしてしまいます。

これでFM-TOWNSはややマルチメディア系に強い、Windowsパソコンというだけ の存在に落ちてしまいました。私はTOWNSをソフトの開発に使っていましたが TOS(Towns OS)の上ではあまり大した作業ができないので、ほとんどWindows 上で作業していました。TOWNS-OSはMSDOSをベースにしており、MSDOSのプロ グラムをちょっとモディファイすると動作しましたし、MSDOSのソフトでそ のままTOSで動くものもありました。TOWNS-OS用のソフト開発ツールでTOWNS GEARというのもありましたが、非力な印象だけが残っています。

1995年の夏頃、私はこのFM-TOWNS用にWindows95が出るかどうか富士通からの 知らせを待っていました。そして来た結論は「出さない」というもの。結果 的に富士通自体は Windows95時代に FM-V DeskPower に全力をそそぎ込み、 初めて PC98 に勝利するに至ります。

TOWNSは富士通に自信を与えたマシンではありますが、TOWNS自体はWindows95 の登場とともに消えることとなりました。

なお、TOWNSにはMartyというゲーム利用を主なターゲットとした再生専用機 も出ていますが、そんなに売れてないかも知れません。

PC98Multiは1992年の11月に発売されました。このマシンで日本電気はPC98 01vm21以来ずっと固定してきたマシンのアーキテクチュアを大きく変更し、 初めて256色表示できるグラティックチップを搭載、CD-ROMも付けていました。

しかし私はこのマシンを見たとき「なんで今更こんなスペックのマシンを出 すのだ」と日本電気に対して、こらえようのない、憤りを感じました。方向 性は正しいのですが、これは2〜3年前に出しておくべきマシンでした。しか もこのスペックにCPUが80386というのは非力すぎました。Multiは私はショー ルームでしか触っていませんが、ひどく遅いマシンでした。そして日本電気 の幹部も同様の判断をしたようです。

このシリーズは即刻うち切りになり、翌年2月PC9821が発売されて、PC98は DOS/V化の道を歩み始めます。この路線変更は当時日本電気の役員会でも、 僅差で可決されたという話もあります。もしこの時路線変更が行われていな かったら、今日本電気のパソコンは無かったかも知れません。

さて、そういう訳でこのPC98Multiはちょっと出ただけで消えてしまいます が、そのコンセプトの一部はPC98CabBeに受け継がれました。このCanBeは まさに富士通のTOWNSをかなり意識したマシンだと思うのですが、初期の頃、 このマシンの不安定さには泣かされました。初期の頃のCanBeは出荷された ままの状態で使う分には快適なマシンだったのですが、いったん何か市販の ソフトを入れると、たちまちダウンしまくりました。

(4)ラップトップ・パソコン

 ラップトップパソコンというのは、1986〜1989年頃に各メーカーから発売  された、液晶ディスプレイを搭載した「小型軽量」パソコンである。
 
 「ラップトップ」とは、机の上に置く「デスクトップ」に対する言葉で、  「ひざの上に置ける」という意味である。
 
 しかし実際にはこの手のパソコンはだいたい4〜10kgほどの重さがあり、  ひざの上に置けないことはないが、置いて使っていたら、足がしびれる  であろう、というものであった。
 
 ラップトップパソコンは、むしろ「運びやすいパソコン」として利用され  た傾向がある。当時はバッテリーの性能もよくなかったし、中にはバツテ  リー駆動できず必ずAC電源が必要なものもあった。また、今のようにデジ  タルの携帯電話もなければ、ISDNの公衆電話も無いので、通信したい時は  アナログの公衆電話から音響カプラーでやるしかなかった。むろん、それ  でもその時代にこの重たいラップトップを抱えて歩いて、モバイルをして  いた人たちはあったが。

 当時はカラー液晶は超高価(1990年7月発売のPC9801T/F5は 8色カラーの  TFTで115万円した)だったので、多くはモノクロ液晶である。ラップトッ  プの利用者は多くはパソコンを机の中や、足元に置いておき、使うときに  おもむろに「よっこいしょ」とテーブルの上に出して、コンセントをつな  ぎ起動する。そして終わったら電源を切って、たたんでまた足元に置くの  である。
 
 これがデスクトップパソコンなら、ずっと机の上に置きっぱなしにせざる  を得ない。下手すると専用の机を用意せざるを得ない。それを許してくれ  る会社はそう多くなかったであろう。
 
 そういう意味で、ラップトップパソコンは、初めて、パソコン専用卓や  「電算室」を出て、普通の事務机の上にやってきてくれたパソコンだった  のである。

 しかし、その後、東芝の J3100の成功に刺激されて、各メーカーはラップ  トップより更に小型軽量の「ノートパソコン」を販売し始める。
 
 この結果、ラップトップパソコンはデスクトップとノートとの間にはさま  れて、中途半端なコンセプトの商品となってしまい、次第に姿を消してい  くのである。
 
 そして、ノートパソコンこそ、初めて本当に「ひざの上に置いて使える」  パソコンであった。

(3)ラップトップ・パソコン


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