マイコンの誕生

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マイクロチップの誕生の経緯は以前にも書いたように、日本のビジコンに いた島正利(現VMテクノロジー)がインテルに行って、新型の電卓のための ICの設計打合わせをしていたことが発端です。
この時、最初にアイデアを思いついたのはテッド・ホフであったといいま す。彼はある日突然、ひとつのICの中に演算装置・レジスタなどを組み 込んで、コンピュータのCPUに相当するものを全部1チップに閉じこめ てしまうという画期的なことを考え、部屋に入ってくるなり、興奮気味に 開発スタッフに語ったといわれます。
このアイデアはみんなに支持されます。そのアイデアにもとづき、島が回 路の中核部分の論理設計を行ない、フェデリコ・ファジン(後ザイログを 設立する)が周辺回路を作成。1969年i4004の誕生となります。

インテルはこの後、4040,8008,8080,8085,8086 ということで現在のPentium につながる流れのCPUを製造していきますが、当初はインテルもあくまで これを色々な機器への組込用と考えていたといいます。
しかし、そうでないことを考えた人もいました。
色々な先駆者がいたようですが、特にビジネス的に成功したのはMITSでした。

当時MITS (Micro Instrument and Telemetry Systems) はかなり経営が苦し い状態にありました。その時、社長のエド・ロバーツはインテルが8080を わずか300ドル(約10万円)という、たいへん安い値段で売りだしたことを 知ります。
当時既に8080をCPUとして組み込んだコンピュータ(ミニコン?)というのは 存在はしていたようです(日本のソードもMITSより先に出している)が、 だいたい数百万円の価格で販売されていたようです。
しかしMITSはこのインテルの8080にメモリーや付属機器・筐体などを添付、 「ALTAIR-8800」という名前で、わずか420ドル(約12万円)という、良心的 な価格で販売始めました。1974年のことです。

 これはロバーツのアイデアにMITSの技術陣が即動き、約半年程度で発売ま  でこぎつけたものです。

 ALTAIR-8800 は「組立前」のパソコンです。つまりこれを買った人は自分  でハンダ付けなどをして組み立てる必要がありますし、ソフトは何も付い  ていなかったわけですが、普通のコンピュータなら数億円、ミニコンでも  数百万円〜数千万円するのに、わずか12万円でコンビュータが入手できる、  そのことは非常に大きな反響を呼びました。

 MITSはALTAIR-8800の仕様を完全に公開しましたので、ALTAIRには多数の  「互換機」が誕生しました。そしてALTAIRやその互換機が非常にたくさん  売れたため、その上で共通に動作するソフトを組むという考え方が生まれ  ます。MITSはそのようなソフトが出てくると、翌年恐らく世界で初めての  ビジネスショーを開催。このような同社の動きは多くのビジネス・ソフト  を生み出す原動力となりました。
 
 これがソフトというものがハードから独立した瞬間であったのでしょう。

 ビル・ゲイツとポール・アレンもそういったALTAIRに魅せられたプログラ  マーのひとりでした。彼らはこのALTAIRに、それまで汎用機やミニコンで  しか動作していなかった BASIC をのせることを計画。アレンが約半月で  処理系を組み上げたといいます。(この二人はゲイツが企画者,アレンが  作成者.アップルやジャストシステムもだいたい似た組み合わせである)

 ALTAIRでBASICが動くということに多くの人が感動。二人はこのBASICを  MITS社に売却して、それがMicrosoftの創業資金となります。
 
 また、MITSはこのBASICのおかげで更にALTAIRを買う人が増え、みごとに  経営危機から立ち直ったのです。
 
 ALTAIR-8800やそれに類するシステムは「マイコン」と呼ばれました。
 
 この言葉は「マイクロチップを使った小さなコンピュータ」(Micro-com  puter)という意味と「私の所有物にできるコンピュータ」(My-computer)  というふたつの意味が掛けられています。

 ALTAIR-8800が登場する以前、コンピュータが個人の所有物にできるという  考え方は、大手のコンピュータメーカーの中には欠落していました。


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