手相の歴史

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生まれはインドか?

手相のルーツはかなり古いと思われ、インド起源説なども言われていますが、はっきりしたことは分かりません。旧約聖書ヨブ記37-7に「人の手の業をすべて封じ込め、すべての人間に御業を認めさせられる」(新共同訳)という記述があり、これは手相のことを言っているのではないかとも言われています。

それ以来、ギリシャ時代にも中世にも、多くの人たちが手相の研究をしていますが、中には内容に随分首をかしげざるを得ないものも多数ありました。日本でも江戸時代に中国から神相全編という手相・人相の本が輸入されましたが、水野南北などはこの本に書いてあることが全く当たらないので頭に来て、髪結いと三助と葬儀屋を3年ずつやって独自の人相学を編み出しています。しかし手相については明治時代まで全くあてにならない、ひどい手相術が流布していました。

キロの活動

手相術の世界に革命を起こしたのがアイルランド生まれのキロ(Cheiro,別名Count Louis Hamon, 本名William John Warner, 1866-1936)でした。彼は19世紀末のオカルトブームに乗って様々な団体の研究や東洋の色々な思想なども研究し、独自の手相学をまとめ、その普及に尽力しました。彼はマーク・トウェイン、サラ・ベルナールなど多数の有名人をクライアントにし、その巧みな話術で多くの人を惹き付けて、いわば「手相の伝道師」的な活躍をしました。

彼のまとめた手相学はとても的中率が高かったため、多くの人がそれを参考にし、日本でも大和田斉眼などがこの理論を輸入して、普及に力を入れます。この結果それまでの手相占いはほぼ一掃されますが、その一部は戦後1960年代頃まではまだ少し残っていました。

結局は現代でも、日本の手相家のおそらく99%くらいが、このキロの系統の西洋手相術を使用しています。

透派系の手相術

昭和40年代以降の日本の東洋占術界に大きなインパクトをもたらした透派の系統でも手相術を取り扱っていますが、そのルーツについては良く分かりません。奇門遁甲の用語が転用されていることから、それほど古いものではないようにも思われます。また、易の用語が転用された別の系統の手相術の本も1980年代頃まではチラっと見ることもありましたが今日ではほとんど見かけなくなりました。


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