水着の発達史

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水着の始まり

日本の水着と近代海水浴はだいたい明治の中期頃から始まります。当時は海水浴場が男女別に区切られていて、「この境界通ることまかりならぬ」などと書いてあった時代。一般の女性が人前で肌を見せるということは考えられないような時代でした。当時の水着は浜辺で水に濡れても構わない服を着て遊ぶためのもので、最初はねまき風のものでした。それがやがて明治の終わり頃にはシュミーズ型に進化します。

モガの時代

大正に入る頃にはシマウマ型水着が登場し、やがておこった大正ロマンの自由な雰囲気の中で、モガたちは競って新しい水着を着用して浜辺に出かけました。しかしやがて忍び寄ってきた戦争は彼女らをモンペをはき工場などでひたすら働く環境へと追いやります。

戦後の開放時代

戦後まもない頃はまだ食べ物にも困る時代、水着どころではありませんでしたが、やがて1956年、石原裕次郎主演の映画「太陽の季節」を契機に『太陽族』が誕生すると状況が一変します。第一作「太陽の季節」の南田陽子、第二作「狂った果実」の北原三枝(後の石原裕次郎夫人)らの水着姿は若者の感性を刺激し、浜辺には水着に身を包んだ女性たちがどんどん進出、服飾メーカーもそれに対応して翌年には大胆なセパレート型の水着を発表しました。

ビキニの衝撃

少し時計の針を戻して1954年マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行いました。この衝撃が世界をかけめぐっている中、フランスの発明家ルイ・ルアールは、彼がデザインした新しい水着に「ビキニ」の名前をつけることを思いつきました。これはこの水着は水爆クラスの衝撃のある新デザインです、というアピールでした。このビキニの水着は1967年に日本にもお目見えしました。当時はワンピース型よりセパレーツ型の人気があった時期で、ミニスカートの流行などとも合わせて女性の肌の露出度が異常なまでに高くなった時期です。多くの女性がこのビキニに飛びつきました。

反動の時代

しかしミニスカートにしてもビキニにしても、ここまで肌を露出してしまうと、その先はもうなくなってしまいました。反動がきて、通常のファッションではマキシが流行し、水着もワンピース型に回帰していきます。そして80年代に入るともうワンピース型の水着の方が大きな人気を得るようになりました。やはりセパレート型を着るためには体形のコントロールをしっかりしておかなければならないので、あまり気にしなくてもよいワンピース型の方に女性達の気持ちは流れていったのです。

個性化の時代

通常のファッション界でもだいたい80年代頃から、かつてのミニスカートのような大流行というものは起きなくなりました。みんなが人の真似をするのではなくそれぞれ自分に合ったものを着るような時代になったためです。それだけ女性の服装に関する感覚が成熟してきたことをこれは示します。そんな中でも80年代の後半から90年代はじめにかけてはハイレグやボディ・コンシャスが流行し、ビキニの水着もかなり復権してきました。またワンピースといっても背中が大きく開いているもの、セパレートでもボトムがゆったりと腰を覆うものなど、非常に多くのバリエーションが出てきて、色々な個性に合う水着を見つけることができるようになってきています。

最近の傾向

ここ最近の流れとしてはまず素材面で水に入った時に透けて見えないボディジェルの水着が出てきています。そして何より特筆すべきなのはパレオの流行でしょう。最近の水着は海水浴の原点ともいうべき、水際で楽しむ、ということをより明確に追求しているように思われます。そしてこのパレオのお陰で、ビキニの売れ行きも一時期からすると随分増えてきており、80年代頃のワンピース一辺倒の時代からはまた様変わりしてきています。


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