歌謡曲 (90)


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伊藤久男

Artist:『伊藤久男』 (いとうひさお) 1937- (曲数 3)

『イヨマンテの夜』
『栄冠は君に輝く』 1948
夏の甲子園の大会歌。加賀大介作詞・古関裕而作曲。

『あざみの歌』 1951
横井弘作詞・八洲秀章作曲。「山には山の愁いあり。海には海の悲しみや」。後に倍賞千恵子、ダークダックス、由紀さおりなども歌っている。

山口淑子

Artist:『山口淑子』 (曲数 2)

山口淑子(1920-, Act=1938-)は1940-50年代頃に日本と中国で活動した歌手。中国名は李香蘭(リ・シャンラン)。

『支那の夜』 1940
映画『支那の夜』の劇中歌。↓の蘇州夜曲もだが、劇中では山口淑子が歌ったものの、山口がレコード化に消極的だったため、レコードは渡辺はま子が歌唱してリリースされている。

『蘇州夜曲』 1940
映画『支那の夜』の劇中歌。

春日八郎

Artist:『春日八郎』 Act= 1948-1991 (曲数 1)

『お富さん』 1954.8
春日八郎の出世作。歌舞伎『与話情浮名横櫛』(通称:切られ与三郎)から題材を取ったヒット曲。「死んだはずだよ、お富さん。生きていたとはお釈迦様でも、知らぬ仏のお富さん」という歌詞があまりにも有名。むろん死んだと思われていたのはお富ではなく、与三郎の方。歌舞伎では「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさお富久しぶりだなあ」という与三郎のセリフがあまりにも有名である。

美空ひばり

Artist:『美空ひばり』 (曲数 7+1 =8)

昭和を代表する歌姫。

『悲しき口笛』 1949.9.10
美空ひばりの“デビューレコード”。実はひばりの“デビュー曲”は『河童ブギウギ』なのだが、その曲は霧島昇『楽しいささやき』のB面だったので、本人名義のデビューレコードはこの曲になった。

『リンゴ追分』 1952.5.1
ひばりの代表曲のひとつで知名度も高い。TBSラジオドラマ『リンゴ園の少女』の挿入歌。

『お祭りマンボ』 1952.8.15
明るい曲調もありカバーする歌手が多い。忍者も「お祭り忍者」のタイトルでカバーしている。

『柔(やわら)』 1964.11.20
「勝つと思うな。思えば負けよ」という歌い出しのフレーズは多数コピーされ、多くの創作の様々な場面で使用された。 1965年「第7回日本レコード大賞」受賞。個人的には村田英雄の『人生劇場』とごっちゃになる。

『悲しい酒』 1966.6.10
ひばり29歳の時の歌で、彼女の代表曲のひとつ。実は北見沢惇の曲のカバーである。北見沢のレコードがヒットしなかったが、埋もれさせるには惜しい曲ということから、カバーであることを隠して、ひばりに歌わせたので、後にそのことを知ったひばりが怒ったという話もある。

『真っ赤な太陽』 1967.05.25
美空ひばり初期の大ヒット曲。現在でもよくお店のテーマ曲、イベントのテーマ曲などに使用されている。

『愛燦燦』 (重複) 1986.5.29
「あいさんさん」と読む。味の素のCMの曲として小椋佳に依頼されて制作された曲だが、歌手の選考で難航。プロデューサーが美空ひばりにオファーしたところ、思いがけずOKがもらえて、この大歌手の歌唱が実現した。ひばりが亡くなった1989年末の『第40回NHK紅白歌合戦』では雪村いづみが歌唱した。また、2007年の『第58回NHK紅白歌合戦』ではひばりの生誕70周年を記念して、小椋佳が生前のひばりの映像とデュエットした。

『川の流れのように』 1989.01.11
美空ひばりの最後のシングルで、最後の大ヒット曲。今もなお歌い継がれている名曲である。作詞は秋元康。彼は、おニャン子クラブで色々賞をもらった時は周囲の視線が冷たかったが、この「川の流れのように」で賞をもらった時、みんなが物凄く褒めてくれたと語っていた。作曲は見岳章。第31回日本レコード大賞・特別栄誉歌手賞・金賞。なお「川は流れてどこどこ行くの?」と歌うのは 喜納昌吉の「花」。「時の流れに身をまかせ」はテレサテン。

石原裕次郎

Artist:『石原裕次郎』 1956- (曲数 7)

『銀座の恋の物語』 1961.1
石原裕次郎のヒット曲(石原裕次郎と牧村旬子のデュエット)で、長らく男女デュエットの名曲として、カラオケで歌い継がれてきた。

『夜霧よ今夜も有難う』 1967.02.05
250万枚売る特大ヒット曲。

『夜霧の恋の物語』 1968.06.05
『みんな誰かを愛してる』 1979.09.25
ドラマ「西部警察」主題歌。

『ブランデーグラス』 1979.11.25
150万枚売る大ヒット曲。

『夜明けの街』 1980.10.25
ドラマ「西部警察」(55-126)主題歌。

『時間(とき)よお前は…』 1982.04.25
ドラマ「西部警察」(PART-II 1-38)主題歌。

伊東ゆかり

Artist:『伊東ゆかり』 (曲数 3)

伊東ゆかり(1947-, Act=1958-)は1960年代から1970年代初頭を主な活動期間とする歌手だが、サウンド・イン"S"の司会を長くつとめたので、それで(司会者として)ファンになった人も多い。

『小指の想い出』 1967.2.10
伊東ゆかりの代表曲。

『恋のしずく』 1968.1.20
伊東ゆかりの曲。オリコン4週連続一位を獲得。

『知らなかったの』 1969.2.1
伊東ゆかりの曲。

森山加代子

Artist:『森山加代子』 (曲数 1+1 =2)

『月影のナポリ』 (重複) 1960.6
ミーナの大ヒット曲『Tintarella Di Luna』のカバー。ザ・ピーナッツとの競作。この曲はオリジナルのミーナ版が格好良すぎる。

『白い蝶のサンバ』 1970.1.25
「あなたに抱かれて私は蝶になる」という歌。サンバとはあるが、実際には全くサンバではない。当時はエキゾチックな曲にはサンバとかタンゴとか付けとけという感覚だったようである。

いしだあゆみ

Artist:『いしだあゆみ』 (曲数 2)

いしだあゆみ(1948-, Act=1964-)は歌手。

『ブルーライト・ヨコハマ』 1968.12.25
いしだあゆみの代表曲。しばしば混同されるが「よこはまたそがれ」(五木ひろし)とは別の曲。この曲へのアンサーソングとしてMi-Keが『ブルーライト・ヨコスカ』という曲をリリースしている。

『あなたならどうする』 1970.3.25
いしだあゆみのヒット曲。このフレーズは流行語になった。

水前寺清子

Artist:『水前寺清子』 (曲数 9)

水前寺清子(1945-, Act=1964-)

1960年代に佐良直美と人気を二分した若手歌手。演歌歌手とみなされる場合もあるが、演歌ではないヒット曲が多いので、個人的には歌謡曲歌手に分類している。彼女のアクセントを強調した歌い方はもむしろ洋楽的な気もする。

『涙を抱いた渡り鳥』 1964.10
水前寺清子のデビュー曲。今でいえば演歌系の歌。

『いっぽんどっこの唄』 1966.11
水前寺清子初期の大ヒット曲。「ボロは着てても心は錦」という歌い出し。いっぽんどっこというのは男帯の模様らしい。当時としては驚異的なミリオンセラーである。

『おしてもだめならひいてみな』 1968.01
この曲については/music/episode/ositemodamenara.htm 参照。

『三百六十五歩のマーチ』 1968.11
水前寺清子の代表曲。これまでの演歌系の曲と一転して洋楽のフレームで書かれている。服装も和服ではなくドラムメジャーのような服装であった。その後も長く人生の応援歌として歌い継がれることになる。「1歩進んで2歩下がる」という歌詞は「進んでないじゃん!」というツッコミが多数であった。なお、後に彼女自身がこの曲の替え歌・マンダムGATSBYのCM曲を歌っている。

『真実一路のマーチ』 1969.10
同じ路線の曲。「タンバリンリンリン」というリフレインが印象的。

『ありがとう』 1970.05
ドラマ「ありがとう」(看護婦編)の主題歌。

『みつばちマーヤの冒険』 1975.04
アニメ「みつばちマーヤの冒険」主題歌。

『浪花節だよ人生は』
1976年に小野由紀子が歌った歌だが、木村友衛が1981年にカバーしたことから知られるようになる。その後、水前寺清子・細川たかし・都はるみ・こまどり姉妹など、ひじょうに多数の歌手がカバーしている。16名の歌手による歌唱のレコード販売数が合計140万枚に達するらしい。水前寺清子版は1984.8にリリースされている。同年の紅白歌合戦では、水前寺清子と細川たかしの同曲対決が行われた。なお、清水アキラが村田英雄のモノマネをする時にしばしばこの曲を歌っているが、村田英雄版は存在しない!

『C.C.レモン』 1997.7.24
同名商品のCM曲。知名度は物凄く高い。

坂本九

Artist:『坂本九』 (曲数 2)

坂本九(1941-1985)は歌手・俳優。代表曲『上を向いて歩こう』は『スキヤキ』の名前でアメリカでもヒットした。ドリフターズの早期のメンバーのひとり。俳優としても活躍しNHKドラマ「わが歌声の高ければ」で榎本健一役を演じたのは熱演だった。1985年日航機123便の事故で死去。

『上を向いて歩こう』 1961.10.15
坂本九の世界的なヒット曲。海外では"Sukiyaki"の名前で知られる。永六輔作詞、中村八大作曲。いわゆる“六八九”の作品である。国内外のひじょうに大量の歌手(むしろ国外が多い)によりカバーされた。坂本九のロカビリー的な歌い方は、日本国内ではあまり評価されなかった。永六輔は最初坂本の歌を聴いた時「俺の歌を変な歌い方するな!」と激怒したらしい。しかし海外で爆発的なヒットとなり、アメリカのビルボードをはじめ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、ノルウェイ、でランキング1位となり、これらの実績から国内でもやっと評価する声が出始めたという。この歌の歌い方については、ロカビリーの影響のほか、坂本の母が小唄の歌い手で、その影響もあったという。楽曲の途中、短調になる部分は実は坂本が誤って短調で歌ってしまったのを、作曲家の中村八大が「ああ、それでもいいよ」と言って、譜面を書き換えてしまったものらしい。

『明日があるさ』 1963.12.1
青島幸男作詞・中村八大作曲。坂本主演のバラエティ番組『明日があるさ』『夢をそだてよう』の主題歌。2001年にウルフルズおよびRe:Japanがカバーした。他にも多数のアーティストがカバーしている。

千昌夫

Artist:『千昌夫』 (曲数 2)

千昌夫(1947-, Act=1965-)は歌手。元妻は歌手のジョーン・シェパード(グレン・ミラー・オーケストラの専属歌手などをしていた)。夫婦でよくCMやバラエティに出演していた。一時期は不動産や事業による収入が、歌手の収入を遙かに上回っていたが、後にそれを全て無くした。

『星影のワルツ』 1966.03.24
千昌夫のヒット曲。170万枚ほど売れている。

『北国の春』 1977.04.05
千昌夫のヒット曲。

テレサ・テン

Artist:『テレサ・テン』 (曲数 4)

テレサ・テン(1953-, Act=1967-)は台湾出身の歌手。中国名はケ麗君(タンリーチン)。

『空港』 1974.7.1
テレサ・テンの初期のヒット曲。

『つぐない』 1984.1.21
テレサ・テンの大ヒット曲。代表曲のひとつ。

『愛人』 1985.2.21
『時の流れに身をまかせ』 1986.2.21
『つぐない』と並ぶ大ヒット曲。代表曲のひとつ。似た名前の曲で『時の過ぎゆくままに』は沢田研二、『川の流れのように』は美空ひばり。

内山田洋とクールファイブ

Artist:『内山田洋とクールファイブ』 1969- (曲数 4)

クールファイブは内山田洋をリーダーとする5人組の音楽ユニットだが、ゲストボーカルとして前川清(藤圭子の元夫)を登用している形式で売れてしまったので、しばしば前川清もメンバーで、クールファイブのファイブ(5)は内山田洋以外の5人かと思われるているが、そうではないのである。最初渡辺プロに所属したが、あまりにも給料が安く生活に困っていたので度々賃上げ交渉をしたものの応じてくれなかったため独立。しかしナベプロの睨みで、その後1年間どこも相手にしてくれない苦難の日々を送った。

『長崎は今日も雨だった』 1969.2.1
メジャーデビュー曲であり、またクールファイブ最大のヒット曲。

『そして、神戸』 1972.11.25
『中の島ブルース』 1975.7.25
『東京砂漠』 1976.5.10

和田アキ子

Artist:『和田アキ子』 (曲数 2)

『笑って許して』 1970.3.25
初期のヒット曲。

『あの鐘をならすのはあなた』 1972.3.25
第14回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞曲。

小柳ルミ子

Artist:『小柳ルミ子』 (曲数 5)

小柳ルミ子(1952-, Act=1971-)は歌手。ひょっとしたら最後の歌謡曲歌手かも。

『わたしの城下町』 1971.04.25
小柳ルミ子のデビュー曲。

『お祭りの夜』 1971.9.25
小柳ルミ子の2枚目のシングル。これも結構なヒットとなり、『わたしの城下町』に続いて、1年に2曲もヒットしたのは異例と言われた。

『瀬戸の花嫁』 1972.04.10
小柳ルミ子の代表曲。今でも結婚式で歌われる曲のひとつ。

『来夢来人』 1980.01.25
小柳ルミ子の後期の代表曲。ポップス調の曲。

『お久しぶりね』 1983.07.21
まるで古い時代の歌謡曲のカバーのようだが、実は小柳ルミ子のオリジナル。懐古調の造りが面白い。

Various Artists

Artist:『Various Artists』 (曲数 34)

『タバコやの娘』 1937.7
岸井明と平井英子とのデュエット曲。コミックソングである。「たんたんたぬきの金玉は」の元歌になったとされる。作詞:薗ひさし、作曲:鈴木静一。ここで薗ひさしは実は鈴木静一の別名義。歌唱した平井英子は後に鈴木静一と結婚した。なお、高峰秀子の「煙草屋の娘」とは同名異曲。

『みかんの花咲く丘』 1946.8.25
童謡に分類されることが多いが、個人的には歌謡曲であると思う。私が子供の頃も、聞き慣れた童謡とは全く違う新鮮な音階の曲、かっこいい曲と認識していた。実際この曲はドレミファソラシト7音を全部使用している。音域もドから上のファまでオクターブ半ある曲で、ある程度の歌唱力を要求する。

1946.8.25にNHK『空の劇場』で、当時12歳の童謡歌手・川田正子(かわだまさこ:『汽車ポッポ』の歌唱で既に有名で紅白にも出ていた)の歌唱で伊東市からの中継で発表された。作詞は加藤省吾(ミュージックライフ編集長)、作曲は海沼實。
この歌は、予め海沼に制作が依頼されていたのだが、前日になっても着想さえ得られていなかった。ミュージックライフ編集長の加藤は、その24日取材のために海沼の所を訪れたら、まだ全くできていないことを聞き仰天する。それでその場で結局、加藤自身が30分ほどで詩を書き、GHQに飛び込んで詩の検閲を受け、海沼はすぐに川田が居る静岡県伊東市に向かう列車に飛び乗る。そして海沼はこの汽車の中で曲を書き上げたのである。
現地ですぐに自分で歌って川田に教える。しかし川田もとても放送までに歌詞を全部覚えることができず、歌詞カードを見ながら放送で歌唱した。それが川田正子の代表作となる、この名曲が生まれた瞬間であった。
なお歌詞で「やさしい母さん思われる」の部分は、最初「母」だったものの、直後に「姉さん」に改訂された。それは当時戦争で母を失った子供が多かったことを配慮したものである。姉ならお嫁さんに行ったから今家に居ないという解釈ができる。それで現在出回っている歌唱でも、母バージョンのものと姉バージョンのものがある

『憧れのハワイ航路』 1948
岡晴夫が歌唱した。作詞:石本美由起、作曲:江口夜詩。当時はまだ自由に海外旅行ができなかった時代である。留学生、仕事の関係で渡航する必要がある人などのみに許可が出ていた。海外旅行が自由化されたのは、1964年のことである。だから昭和23年のハワイ航路というのは、まさに憧れの存在だった。

『坊がつる賛歌』 1952
この曲は、1952年に坊がつるの山小屋で3人の学生(神尾明正・松本征夫・竹山仙史)によって作られたものである。「みんなのうた」で1978.6-7に芹洋子の歌で『坊がつる讃歌』のタイトルで放送された。

『母さんの歌』 1956.2
「母さんは夜なべして手袋編んでくれた」という歌い出しの曲。作詞・作曲:窪田聡(1935-)。個人的にはこの曲はフォークだと思う。1956年2月『うたごえ新聞』で発表され、その後、全国のうたごえ喫茶を中心に広まっていった。「みんなのうた」でも取り上げられ、1962年2-3月にペギー葉山の歌で放送された。
なお歌詞の内容からして、作詞者の窪田は東北の秋田か山形あたりの出身かと思ってしまうが、実は東京出身である!ただ当時は早稲田大学に合格していたのに入学せず家出中で、兄を通して渡された母からの小包に涙して書いたのである。

『忘れな草をあなたに』 1963
木下龍太郎作詞、江口浩司作曲。1963年ヴォーチェ・アンジェリカが発表した歌。1971年に倍賞千恵子と菅原洋一が各々カバーしてヒットした。

『高校三年生』 1963.6.5
舟木一夫のデビュー曲。後に森昌子の『中学三年生』と比較された。

『知床旅情』 1965.7.25
森繁久彌のヒット曲。初出時のタイトルは「しれとこ旅情」だった。“知床(しれとこ)”が読めないと言われたのかも。1970年に出た加藤登紀子のカバーも評価が高い。ちなみに知床でも国後でも白夜は起きないので、この歌詞はおかしいと突っ込まれた。そもそも“白夜”は明けない。最初から明けている!

『バラが咲いた』 1966.4
マイク眞木のヒット曲。浜口庫之助作詞作曲。曲調的にはフォークで、当時「モダンフォーク」と呼ばれた。NHK『みんなのうた』(1966.6-7)では、マイク眞木と西六郷少年少女合唱団による合唱で演奏された。フォークブームのきっかけになったとも言われる。海外でも知られ、サンクトペテルブルクのロシア国立第83中等学校の校歌に採用されている。

『銭形平次』 1966.5
舟木一夫のヒット曲。大川橋蔵主演『銭形平次』主題歌。舟木は主題歌を歌っている縁で、毎年1回くらい銭形平次にゲスト出演していた。

『空に星があるように』 1966.9.5
荒木一郎のヒット曲。作詞作曲:荒木一郎。その後、長く合唱団などで歌い継がれている。

『世界は二人のために』 1967.5.15
女優・タレントとしても活躍した佐良直美のデビュー曲。当時、子供たちの人気は佐良直美派と水前寺清子派に別れていた。

『恋の季節』 1968.7.20
ピンキーとキラーズの特大ヒット。売上はオリコン集計だけでも200万枚を超えている。ピンキーとキラーズはリードボーカルの今陽子(こん・ようこ)と男性バックバンドまたはコーラス4人のユニットだが、リードボーカルが女性ということで紅白では紅組から出場している。当時物凄い人気で彼女らが主演するバラエティ『青空にとび出せ!』も放送されていた。

『ひとり寝の子守唄』 1969.9.15
加藤登紀子のヒット曲。

『こんにちは赤ちゃん』 1963.11.1
梓みちよのビッグヒット。作詞:永六輔、作曲:中村八大。発表されたのは1963.7.6『夢であいましょう』の中で。これを元にして映画も2本作られた(競作)。

『帰って来たヨッパライ』 1967.12.25
ザ・フォーク・クルセダーズの大ヒット曲。売上は130万枚。オリコンチャート史上初のミリオン・シングルである。

1967年末にリリースされ、その後日本中に1年間ほど「おらは死んじまったどー」が流れた。テープの早回しによる高音楽曲で、この手法はアメリカで1958年に、アルビンとチップマンクス(Alvin & the Chipmunks)が『ウィッチドクター』(Witch Doctor)で使用した手法として有名である。

『誰もいない海』 1968
元々は1967年に『木島則夫モーニングショー』内の“今週の歌”として、ジェリー伊藤のために書かれた曲である。山口洋子作詞、内藤法美作曲。1968年に大木康子がカバーした後、1970.11.5にトワエモア版でヒットした。

『恋の奴隷』 1969.6.1
奥村チヨのヒット曲。

『希望』 1970.4.1
岸洋子のヒット曲だが、コーラス部などで長く歌い継がれている。「希望という名のあなたをたずねて」。

『圭子の夢は夜ひらく』 1970.4.25
藤圭子(宇多田ヒカルの母/前川清の元妻)の代表曲。「夢は夜ひらく」自体は多数の歌手の競作で、園まり、バーブ佐竹、緑川アコ、愛まち子、梅宮辰夫なども録音している。

『走れコウタロー』 1970.7.5
ソルティー・シュガー特大ヒット曲。池田謙吉作詞、前田伸夫作曲。曲の途中に美濃部都知事の声帯模写で「えーこの度、公営ギャンブルをどのように廃止するかという問題につきまして慎重に検討を重ねてまいりました結果」という所から競馬の実況中継に移るのが入っている。この曲のセルフ・アンサーソングが何かの特典でソノシートで頒布されたが、題名を覚えていない。

『シャム猫とのら犬』 1970.08
可愛和美のヒット曲。お屋敷で飼われていたシャム猫と、野良犬の悲しい恋を歌う。ラストがあまりにも悲しすぎる。無理矢理お涙ちょうだいにした感じで個人的にこのラストは納得できない。なお可愛和美(かあいかずみ)は1950年生まれの歌手で「ひらけ!ポンキッキ」初代おねえさんでもある。女優の可愛かずみ(かわいかずみ,1964-1997)とは別人。

『また逢う日まで』 1971.3.5
尾崎紀世彦のヒット曲。

『あの素晴しい愛をもう一度』 1971.4.5
フォーク・クルセダーズの加藤和彦と北山修が連盟で制作・歌唱した歌。しばしば「素晴らしい」と書かれてしまうが、原タイトルは「素晴しい」である。ひじょうに多数のアーティストによりカバーされている。

『喝采』 1972.9
ちあきなおみの最大のヒット曲。吉田旺作詞・中村泰士作曲。この物語が実話なのかどうかについては肯定する説・否定する説の両方がある。当時、ちあきなおみは、ある日楽屋で呟いた話が譜面になって渡されたのでびっくりしたと語っていた。

『さそり座の女』 1972.12.20
美川憲一のヒット曲。当時直立不動で歌う美川の姿が“東海林太郎2世”などと呼ばれた。

『二人でお酒を』 1974,3,25
梓みちよのヒット曲、梓みちよのビッグヒットは『こんにちは赤ちゃん』(1963)以来。

『私鉄沿線』 1975.01.20
野口五郎のヒット曲。

『昔の名前で出ています』 1975.1.25
小林旭のヒット曲。/music/episode/oldname.htm も参照。

『あばよ』 1976.10.10
研ナオコの代表曲。

『赤いトラクター』 1977
小林旭歌唱のヤンマーのCM曲。恐らく小林旭の歌で最も有名な曲。

『大阪で生まれた女』 1979.8.1
BORO(ボロ)の代表曲。18番まで歌詞があり、演奏時間は34分に及ぶ長い曲である。そのため当初出たシングルにはその一部しか収録されていない。フルバージョンの音源は1992年になって『大阪で生まれた女・18』のタイトルでリリースされた。2009年に坂本冬美はパッヘルベルのカノンを“伴奏”として使用し、この歌を歌うという、画期的な試みをして注目された(「Love Songs〜また君に恋してる〜」収録)。

『別れても好きな人』 1979.9.21
ロス・インディオスとシルヴィアのヒット曲として知られるが実は10年前にパープル・シャドウズ(「小さなスナック」で知られる)も歌っていた。オリジナルは1969.6.10の松平ケメ子だが、これはほとんど話題になっていない。パープル・シャドウズ版は1969.11.5に発売されている。ロス・インディオスは最初男性ボーカルのみの版を出したが、後日ウルヴィアをフィーチャーして男女デュエットにしたら、これが大ヒットした。

『俺ら東京さ行ぐだ』 1984.11.25
吉幾三のヒット曲。はなわの『佐賀県』と聴き比べたい。


(2021.09.09)
(2022.1.26加筆)