日本サッカー界の歴代ヒーローたち

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日本サッカー界の歴代ヒーローたち



●天才ストライカー・釜本

釜本邦茂は現在のところ日本サッカー史上最大のストライカーである。日本がW杯の決勝トーナメントの常連になる頃にはこの「史上最大」のところを「史上第二」に変えるようなパワフルなゴールゲッターの出現が必要であろう。日本リーグでの通算得点202点、国際Aマッチでの得点が69点。あのカズ(三浦知良)でさえ国際Aマッチの得点はまだ40点しかない。

早稲田大学からヤンマーに進み、東京五輪・メキシコ五輪に出場。特にメキシコ五輪では日本の銅メダル獲得に多大な貢献をした。この時釜本は大会得点王に輝いており、ヨーロッパのチームからの誘いもあったが彼は行かなかった。その後20年間にわたり日本リーグで活躍、1984年引退した。現在参議院議員。1944年4月15日京都生まれ。

●プロ選手第一号・奥寺

釜本に次いで登場するヒーローは奥寺康彦である。1952年3月12日秋田県鹿角市生まれ。 彼は1977年日本代表の西ドイツ遠征合宿の際、ブンデスリーガ(ドイツのサッカーリーグ)の1FCケルンの練習に参加したが、この時1FCケルンのスタッフが奥寺に惚れ込み、移籍しないかと持ちかけて来た。彼は即答を避けて帰国したが、ケルン側は彼を追いかけてマネージャーを東京に派遣して熱心に勧誘、ここに日本人サッカー選手として初めてのプロ選手が誕生したのである。

翌年のリーグではチーム優勝に大きく貢献し「オク」の名前は全ヨーロッパに知られることとなる。以後ヘルタ・ベルリン、ベルダー・ブレーメンと移籍しながら9年間ドイツでプレーし、ブレーメンでも3度のリーグ準優勝に貢献、1986年にはブレーメンの1員として日本のキリンカップに来日して活躍している。ドイツでの通算試合出場232試合、通算得点25点。これは堂々たる成績である。「東洋のコンピュータ」の異名を取った。

●「伝説のフリーキック」・木村

奥寺がヨーロッパで活躍していた頃、日本でもやっと国内プロ1号の選手が生まれた。それが木村和司である。1958年7月19日広島県生まれ。明治大学から日産自動車(現横浜マリノス)に入り、日本代表の中核選手として活躍した。1984年にプロ契約して、日本人として2人目のプロサッカー選手となる。

「伝説のフリーキック」とは1985年のワールドカップ予選での韓国との試合でのことである。2点リードされた日本は前半終了間際ゴール30mの距離でフリーキックを得たが、これを木村がみごとにゴール左上隅に直接打ち込んだ。彼はこのフリーキック1本で日本サッカー史上に名を残すことになる。しかし、この試合結局日本は韓国に破れ、続く第二試合にも敗れた為、ワールドカップ初出場の夢を逃した。

木村はその後も日産/マリノスでプレー、1995年に引退。 ↑


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