ワールドカップのエピソード

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ワールドカップのエピソード



●ウルグアイが開いたW杯への道

1924年パリ・オリンピック。FIFA(国際サッカー連盟)会長のジュール・リメはこのオリンピックのサッカー種目でウルグアイの選手が大活躍するのを見、南米がサッカー界の強力な勢力になろうとしていることを感じ取った。そこで彼は念願のサッカー世界大会の第一回大会をウルグアイで開くことを考えた。おりしもウルグアイは建国100周年を迎えようとしていた。そこで彼はその大会を建国100周年記念行事として位置づけ、費用を全部ウルグアイ政府にもってもらおうと虫のいいことを考えたのである。

結果は大成功で、どの試合も盛り上がり、リメが作らせた純金の優勝カップはウルグアイが獲得した。そしてこの成功でFIFAの財政も潤って、それまでパリの裏通りの安アパートの1室で事務を行っていたのが一躍チューリッヒに立派な本部を作ることができたのである。

●G線上のゴール

1966年イングランド大会でのことである。決勝戦は地元イングランドと西ドイツの対決となった。イングランドは「ミュンヘンの悲劇」の生き残りチャールトンを擁しており、一方の西ドイツは後に「皇帝」と呼ばれる若きベッケンバウアーを擁していた。試合は2対2まで行ったところで、イングランドのハーストが打ったシュートがゴールバーの下に当たって、ゴールライン付近で跳ね返った。ゴールしたかどうかもめたが、結局ゴールが認められてイングランドが勝ち越した。イングランドはその後もう1ゴール取って4対2で勝ったが、ドイツでは「あのゴールは入ってない」と今でも信じられている。疑惑の残るゴール線上のゴールであった。

●トマト攻めにあったイタリア選手

この1966年大会、北朝鮮がアジア勢として初めて決勝トーナメントに進出する快挙を成し遂げた。(その後決勝トーナメントまで行ったアジアの出場国はまだない)。この時、北朝鮮は初戦のロシア戦で破れはしたものの、次のチリ戦を引き分け、最後のイタリア戦に臨んだ。イタリアはここまでチリに勝ちロシアに負けている。ここでイタリアとしては引き分け以上で決勝進出。しかし相手は弱小のアジア勢、イタリアは優勝候補。誰もがイタリアの決勝進出を確信していた。

しかし、この試合を北朝鮮は1−0で勝ってしまう。この結果イタリアは1勝2敗となり、一方の北朝鮮は1勝1敗1分で勝ち点で上回って決勝進出を決めた。まさかの敗退にイタリア選手団は意気消沈として帰国したが空港で彼らを待っていたのはフーリガンのトマト攻撃であった。(食べ物は粗末にしないように)

●マラドーナの神の手ゴール

1986年メキシコ大会の準々決勝アルゼンチン対イングランド。天才マラドーナは後半開始早々ゴール前に上がったボールめがけて飛び込み、ボールをヘディングで押し込んだ。。。。かに見えた。ホイッスルが鳴ってゴール。ところがこの時の映像をスローで見てみると実はマラドーナはボールを頭ではなく手に当てていることが分かった。しかしマラドーナの高速なプレーのため審判にはそれが見えなかったのである。

この件について試合後聞かれたマラドーナは「あのゴールはマラドーナの頭と神の手で決まった」という明言を吐いた。伝説となる「神の手」ゴールである。試合は2対1でアルゼンチンが勝っており、これがきちんとハンドに取られていたら結果は分からない。イングランドからすると不愉快なゴールであった。

●悲しいリメ杯の行方

ワールドカップ優勝国に与えられる優勝カップは最初リメ・カップと呼ばれていて、基本的には優勝国の持ち回りであるが3回優勝した国は永久に保持することができる規則であった。そして最初にその3回目の優勝を果たしたのは1970年のブラジルである。純金のリメ・カップはこうしてブラジルの手に渡り、FIFAでは新しい優勝カップを製作して次回からはそれが使用された。これは単に「ワールド・カップ」と呼ばれる。

ところがこのブラジルが保管していたリメ・カップが1983年盗難にあってしまった。そして後に発見された時は溶かされて金の塊になってしまっていたのである。そのため、現在ブラジルに保管されている初代ワールド・カップはレプリカである。また各優勝国も優勝カップに厳しい警備をするようになった。ブラジルは1994年大会で優勝したが新ワールドカップは銀行の特別保管室の中に厳重に保管した。 ↑


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