碁の名人たち

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寛蓮(かんれん)

10世紀の初め頃の碁名人。醍醐天皇との賭け碁で金の枕をもらい、それで弥勒寺を建立した。(今昔物語)こちらも参照して下さい。

清少納言と紫式部

いづれもかなりの碁の打ち手であったらしい。枕草子・源氏物語に碁に関する記述がでてくる。

玄尊

鎌倉時代初期の碁名人。「囲碁式」を著す。

重阿弥

室町時代の碁名人。

■中国の人

黄月天

乾隆時代の中国の打ち手。

徐星友

乾隆時代の中国の打ち手。黄月天のライバルだが及ばなかった。だいたい2子の差があったとのこと。

施定菴

乾隆時代の中国の打ち手。黄月天の少し後の人。

范西屏

乾隆時代の中国の打ち手。施定菴と同時代の人。

江戸時代の家元

本因坊家・井上家・安井家・林家。基本的にこの順にすごい。

安田算哲(1639-1715)

渋川春海ともいい、天文学・暦学者として有名。中央の星を天元と名付けたのはこの人で、ここは宇宙の中心だからここに第一手を打つべきだとこだわっていたらしい。「負けたら一生天元には打たない」と言って本因坊道策と打ったところ9目負け。その後は初手天元に打つことはなかった。

■林家

1世林門入斉(1583-1667)準名人。
2世林門入(1640-1685)六段。
3世林門入(1678-1719)五段。玄悦。
4世林門入(1670-1740)準名人。朴入。
5世林門入(1690-1745)準名人。因長。
6世林門入(?-1746)上手。門利。
7世林門入(?-1757)上手。転入。
8世林門入(?-1798)上手。祐元。
9世林門入(?-1816)上手。門悦。
10世林門入(?-1819)六段。鉄元。
11世林元美(1778-1861)準名人。
12世林門入(1805-11864)上手。柏栄。

■安井家

1世安井算哲(1590-1652)準名人。
2世安井算知(1617-1703)名人碁所。本因坊道策とお城碁を打っている。
3世安井知哲(?-1700)上手。
4世安井仙角(?-1737)準名人。
5世安井仙角(1711-1789)準名人。春哲。
6世安井仙哲(?-1780)上手。
7世安井仙知(1764-1837)準名人。仙角,大仙知
8世安井仙知(1776-1838)準名人。知得
9世安井算知(1810-1858)上手。
10世安井算英(1847-11903)上手。

■井上家

中村道硯(1582-1630)

井上家元祖。但し彼を井上家1世と数える流儀もある。

2世井上因硯(1605-1673)

井上家で初めて因硯を名乗る。古因硯とも。玄覚。上手。本来は彼が1世因硯なのだが、以後9世までの井上家は○世の数え方が2通りあって、混乱している。ここでは通常?と思われる流儀に従うが、ひょっとしたら以下の私の記述にも混乱があるかも。

3世井上因硯(1650-1697)

本因坊道策の実弟。道砂休山とも。上手。本因坊道悦に学び、2世因硯亡き後の1673年に3世因硯襲名。

4世井上因硯(1646-1719)

本因坊道策の高弟。道節。名人碁所。本因坊道知の後見人。詰め碁の本「発陽論」(1713)を著す。

5世井上因硯(1672-1735)

策雲。因節。準名人。

6世井上因硯(1707-1772)

春硯。準名人。

7世井上因硯(1738-1784)

井上春達。本因坊察元と同世代。上手。1728生説あり。

8世井上因硯(1747-1805)

因達。上手。

9世井上因硯(1774-1810)

春策。上手。

10世井上因硯(1784-1829)

山崎因砂。本因坊道策の実家の生まれ。1810年9世因硯の急死により井上家相続。1824年因硯幻庵に家督を譲って隠居。六段。

11世井上因硯(1798-1859)

幻庵。準名人。初めは10世と名乗っていたが因砂死去後、代をひとつずらして11世と名乗る。これは井上家から名人碁所が2人(道硯・道節)出ていると主張するためであったとも。

赤星因徹(1815-1840?)

幻庵因硯の弟子。1840年本因坊丈和と「吐血の局」を戦い、2ヶ月後死去。当時26歳。

12世井上因硯(1820-1856)

秀徹。節山。六段。

13世井上因硯(1831-1891)

松本錦四郎。上手。

14世井上因硯(1831-1904)

大塚亀太郎

15世井上因硯(1871-1917)

田淵米蔵

16世井上因硯(1884-1961)

恵下田栄芳

17世井上因硯

津田義孝

■本因坊家

本因坊算砂(1559-1623)

本因坊家第1世。初代名人。戦国末期の京都寂光寺の僧で日海と名乗っていた。信長・秀吉・家康の3代に仕え、家康から江戸に招かれる。名人碁所。この時、寂光寺の坊の名前を採って、本因坊と名乗った。以後、囲碁の家元のひとつとなるが昭和になってから日本棋院に寄贈され、タイトル戦の名前になる。本能寺の変の前夜に信長の前で打った局に三劫が生じたという伝説がある。

本因坊算悦(1611-1658)

本因坊家第2世。上手。

本因坊道悦(1636-1727)

本因坊家第3世。名人格。

本因坊道策(1645-1702)

本因坊家第4世。名人碁所。棋聖と呼ばれた人。江戸時代に棋聖と呼ばれたのは彼と秀策の2人だけ。彼はそれまでのいきなり喧嘩で始まる碁を改め、布石を行う方式を導入した。道悦の弟子。

本因坊道的(1669-1690)

道策の跡目。小川道的。12歳で6段。16歳の頃には道策と同程度に戦えるようになっていた。道的・策元・八硯・本硯を道策の四天王という。全員若死にしている。

本因坊策元(1675-1699)

道的亡き後の道策の跡目。しかし彼も若死にした。

本因坊道知(1690-1727)

本因坊家第5世。名人碁所。

本因坊知伯(1710-1733)

本因坊家第6世。六段。

本因坊秀伯(1716-1741)

本因坊家第7世。六段。

本因坊伯元(1726-1754)

本因坊家第8世。六段。

本因坊察元(1733-1788)

本因坊家9世。名人碁所

本因坊烈元(1750-1808)

本因坊家10世。準名人。

本因坊元丈(1775-1832)

本因坊家11世。準名人。「古碁枢機」(1821)を著す。

本因坊丈和(1787-1847)

本因坊家12世。名人碁所。葛野丈和。力碁の人であったと伝えられ、怪力無双といわれる。井上家の幻庵因硯の弟子・赤星因徹と「吐血の局」(1840)を戦う。当時54歳。

本因坊丈策(1803-1847)

本因坊家13世。上手。

本因坊秀和(1820-1873)

本因坊家14世。準名人。

本因坊秀策(1829-1862)

江戸時代末期の人で棋聖と呼ばれた。本名桑原虎次郎。14世本因坊秀和の跡目だが若くして亡くなったため15世にはなっていない。完成された美しさを持ち、一手一手の厳しさがあるという。現代でも彼の棋譜を並べる人は多いらしい。10歳で本因坊門下入門。11歳初段。その頃丈和が150年来の碁と評した。「耳赤の妙手」は幻庵との局で放ったもの。

本因坊秀悦(1850-1890)

本因坊家15世。

本因坊秀元(1854-1917)

本因坊家16世・20世。

本因坊秀栄(1852-1907)

本因坊家17世・19世。名人。名人の中の名人といわれた。

本因坊秀甫(1838-1886)

本因坊家18世。秀和に「秀策より強い」とまで称えられた。

本因坊秀哉(1874-1940)

本因坊家21世。田村保寿。昭和13年に引退した時、本因坊の名跡を日本棋院に委譲。

■現代の打ち手

呉清源(1914-)

中国福建省出身。昭和3年日本の棋士の招きで来日、翌年いきなり三段。昭和11年帰化。昭和25年九段に推挙。来日時、秀策の再来と騒がれる。本人は黒は秀策、白は秀栄が好きという。小目から締まりに打って2手で隅を固める従来の布石に対して、星に1つ打って済ませる新布石を昭和8年木谷実と一緒に地獄谷で編み出す。

木谷実(1909?-1975)

呉清源とともに「新布石」を編みだし、またひじょうに数多くの優秀な棋士を育てた。健康を害して1964年現役からは引退。1975年66歳で死去。

趙治勲

ここ十数年ほどの日本棋界の第一人者。本因坊12期、名人9期、棋聖8期。

石田秀芳

藤沢秀行

林海峰

小林光一

坂田栄男

山下啓吾


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