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内裏炎上(960)

天徳4年9月23日、平安京の内裏が炎上しました。

この付近の事情は天徳歌合わせの項でも少し触れました。

この年は何かと異変や怪異が相次いでおり、また降雨が少なくて何度も大規模な雨乞いの祈祷が行われています。更には皇后の伯父・藤原興方が3月に、同じく皇后の父で当時の事実上の最高実力者・右大臣・藤原諸輔が5月4日に相次いで亡くなり、都の空気は不安定になっていました。

9月23日亥三刻(夜10時)、内裏東側の左兵衛の陣から出た火は、何日も雨が降っておらず乾燥しきって止めるすべもないないまま内裏を完全に焼き尽くしました。この火で内裏の中に置かれていた数々の文化財が失われ、温明殿にあった、三種の神器の鏡を格納していた箱も焼けてしまいます(鏡本体は3枚ともほぼ無傷で回収された。曲玉と剣は無事持ち出せた。)

この時、聖剣48振が焼けてしまい、その代わりの剣の鋳造の任にあたったのが当時まだ天文得業生であった安倍晴明であったことも前述の通り。これが晴明の歴史上への初登場になります。

この時期内裏はしばしば炎上しています。2年前の天徳2年にも小さな火事があったようですが、このあと天延4年(976)5月11日, 天元3年(980)11月22日,天元5年(982)11月17日にも焼けています。このあと更に長保3年(1001)に焼けて、寛弘2年(1005)徹底的に焼けます。この寛弘2年の火事の時は鏡が今度は損傷を受け、新しい鏡を鋳造しようという話になるのですが、その時白い蛇が走り出して来たため、計画は中止されています。(その後鏡は結局長暦4年(1040)の火事で完全に焼けてしまう。現在の鏡の箱に収められているのはその時の焼け残りの破片と、この時再鋳造された鏡である)

10世紀から11世紀初頭にかけては大きな火事や地震が相次いでおり、更には939〜941年には平将門・藤原純友の乱も起きています。そしてその中これらの変異を抑えるために陰陽道では賀茂忠行・安倍晴明らの優秀な人材が傑出し、そして政治の世界でも文武に優れた大政治家・藤原道長が登場して、平安時代は後期へと進んでいきます。


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