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宗尊親王が将軍になる(1252)

建長4年4月1日、後深草天皇の第二皇子宗尊親王(むなたかしんのう)が鎌倉幕府の第6代将軍に就任しました。

鎌倉幕府は開設者の源頼朝の直系の血が3代で途絶えてしまい、第4代将軍は頼朝の妹の曾孫にあたる九条頼経を、2代将軍頼家の娘・竹御所(鞠子)の婿に迎えてつがせます。そして第5代は頼経の子の頼嗣がつぎます。

(頼嗣は竹御所の子ではない。竹御所は頼経の子を死産し自らも死去する。もし竹御所が無事男の子を生んでいたら、源氏の直系男子の血が復活するところであった)

しかし頼嗣は政治の実権を握る北条家に嫌われ更迭されることになり、ここで源氏とは何のゆかりもない、宗尊親王が次の将軍に迎えられます。

ここにおいて鎌倉幕府の将軍というのは完全に単なる象徴的存在になりました。この時親王は11歳です。

親王はお飾りとしての自分をよく認識していたようで後世には歌人としてだけ名を残しています。弘長2年(1262)の三十六人歌合せに名を連ねています。

しかしその親王もやがて北条家にうとまれて文永3年(1266)25歳で将軍を解任されて京に戻ることになります。親王はその後モンゴルとの緊張の高まる文永9年出家し、同11年わずか33歳で亡くなりました。モンゴルの軍が来襲するのはその2ヶ月後です。


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