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大津事件(1891)

明治24年(1891年)5月11日、日本を訪問中のロシア皇太子ニコライが、滋賀県大津市で警備の巡査・津田三蔵に突然斬りかかられました。

幸いなことに津田巡査はすぐに取り押さえられ、皇太子も額に2ヶ所傷を負っただけで命に別状はありませんでしたが、一応大事をとり、そのあとの日程をキャンセルして数日後帰国の途に付きます。

当時日本はまだ国際舞台に登場してから30年の弱小国、相手は大ロシア帝国ということで政府は震え上がり、明治天皇が事件の2日後には京都に駆けつけて皇太子の宿舎を訪問しお見舞いをするとともに、全国に鳴り物自粛の通達が出るなど、日本中が大騒ぎになります。全国からのニコライ皇太子へのお見舞いの手紙も1万通に及びました。

政府は更にロシアに対して謝罪の意を明らかにするため、津田巡査を死刑にすべく裁判所に圧力を掛けます。

しかし、法的に見ると被害者が日本の皇族であれば死刑を宣告することが可能でしたが、相手は外国の皇族であり、法律上は一般人と同じ扱いになります。従って怪我を負わせただけなのに死刑を宣告することは法的には無理がありました。このため裁判を担当した大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は法治主義遵守の立場から政府の圧力をはねつけ、法定刑内で「無期懲役」の判決を下します。この事件はこのことにより、児島が司法の独立を守った事件として語り継がれることになりました。

なお、このニコライ皇太子はこのあと悲惨な運命を背負っていました。

この事件の3年後即位してニコライ2世となりますが、その10年後1904年にはこの日本と日露戦争を戦い、この戦争で、この地の果ての小さな島国に負けてしまいます。その戦争のさなか革命(ロシア第一革命)が起き、国内の舵取りに苦心することになり、宮廷内は怪僧ラスプーチンに荒され、最後1917年にロシア2月革命が起きると退位させられ、翌年家族ともどもレーニンらの革命政府に処刑されてしまいます。

なお、5月にはこのニコライ2世関連のイベントがもうひとつあります。

5月18日の「国際親善デー」で、1899年にニコライ2世の発案で開催された国際平和会議を記念するものですが、近年はあまり催し物などは行われず、忘れられかけています。


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