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八幡製鐵所設置(1897)

明治30年2月6日、八幡製鐵所の建設工事が始まりました。(2月5日説あり)

最初に「鐵」という字ですが、戦後は当用漢字制限のため「鉄」という字で代用されることが多いのですが、国鐵が国鉄になったら「金を失って赤字になった」ともいわれるくらいであまりいい字ではないかも知れません。正式には「鐵」です。つくりはテツ(tie)という音を表しています。

鐵は自然界に多数存在する元素であり、人間の体の中でも重要な働きをする成分です。そのままでは弱いのですが微量の炭素(1.7%以下)と結合させた「鋼(はがね)」にすると、ひじょうに丈夫で、刃物・建築素材・船や自動車などの素材として、多く使われています。ここ2000年ほどの人類の歴史においては必要不可欠の素材です。

製鉄という工業は、大雑把に言えば、最初に鉄鉱石をコークスと石灰石と共に2000度の高温で熱し不純物を取り去る工程と、その後その工程の為に大量に含まれることになった炭素を減らしてより丈夫な鋼にする工程とに分かれます。前者を行うのが高炉、後者を行うのが転炉です。高炉は一度火を落としてしまうと再度高温にするのが大変であり、メンテもかかるので、通常、必要があるなしに関わらず、ずっと運転を続ける必要があります。

そのためには、製鉄の素材となる鉄鉱石・石炭・石灰が安定して供給できる場所に製鉄所を作ることが求められました。当時日本は日清戦争に勝利して中国に対する強い影響力を持ち始めた所で、中国から多額の賠償金も得ており、中国から鉄を輸入し、筑豊で取れた石炭、山口県で取れた石灰を集めて高炉を運営できる場所として、北九州の地は最適の土地でした。

この製鐵所は明治28年頃から計画が本格化し、明治29年に国会で承認を得て明治30年から工事開始。明治34年2月5日に初めての火入れ式が行われました。本格的な操業は同年11月18日になります。

この製鐵所はいわば日本の近代技術発展のシンボルであり、明治後半以降産業界をリードしていくことになる重工業の中心的存在でした。その後他の場所にも建設された製鉄所と合わせて日本製鐵株式会社となりますが、戦後は巨大すぎるとしていったん分割。しかし昭和45年に再統合され新日鐵となって現在に至っています。現在は高炉は生産調整がしにくいため運営されておらず、電気式の溶解炉が使用されており、その電気は佐賀県呼子町の玄海原子力発電所からはるばる引かれてきています。


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