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26聖人殉教(1596)

慶長元年(1596)12月19日、豊臣秀吉の命により、京都・大阪で捕らえられたキリスト教信者20人とバテレン6人が長崎で処刑されました。

この頃の国の宗教政策というのは微妙です。もともと信長などは仏教の勢力を削ぐためにキリスト教を利用するわけですが、あまりキリスト教が勢力を持ちすぎると第二の浄土宗にしてはたまらぬとして弾圧に転じます。そしてやがて対立は島原の乱(1638)へと流れていくことになります。

この時代のキリスト教への弾圧に関しては遠藤周作の『沈黙』に詳しいです。体に小さな傷を付け、逆さに吊すと、その傷からポタ、ポタ、ポタ、と血が落ちていきます。いつまでも、いつまでも。

ムチを打つわけでもなく石を抱かせる訳でもない、こわい拷問です。

日本にキリスト教を伝道したのはフランシスコ・ザビエル(1506-1552)です。彼は天文18年(1549)7月3日鹿児島に来訪。平戸、京都、山口で伝道して天文20年離日しました。特に平戸と山口では暖かく迎えられました。

当時、日本のほとんどの人は彼がもたらした「カトリック」というのも仏教の新しい一派くらいに思っていたようです。また実際多くの宣教師が各地のお寺を借りて説教をしたりしていたようです。イエズス会の人たちはアメリカに渡った宣教師たちがしたように既存宗教を破壊しようとはしませんでした。それに日本人の宗教に対する受容力の大きさが、この新来の宗教をスムーズに日本に浸透させたのでしょう。大名の中にも、大友宗麟・細川忠興・伊達政宗らのようにキリスト教を手厚く保護する者も出てきました。

純粋に信仰としてキリスト教に関心を抱いたこれらの大名に対して、日本の為政者たちはもっと政治的な意図でキリスト教に接していきます。

織田信長は永禄12年(1569年)フロイスに布教を許す代わりに海外の情報を仕入れ参謀として使います。そして信長はさんざん手を焼いている本願寺などの浄土仏教勢力をキリスト教の浸透によって弱体化させよう、という意図もありました。

元々、阿弥陀如来による他力本願の救済を説く浄土教と、神との契約による救済を説くキリスト教は構図的に近いものがあり、信者としては乗り換えやすい面がありました。キリスト教は信長の思った以上に急速に普及します。しかしあまり普及しすぎると、今度はこちらが浄土教同様にあぶない存在になってきます。

天正15年(1587)6月19日、信長の後継者豊臣秀吉はキリスト教の禁令を出し、宣教師の国外追放を命じました。

更に天正17年、京都のキリスト教寺院を焼き、宣教師を拘束して長崎に送り、文禄3年(1594)にはとうとう京都・大坂で捕らえたキリスト京都数人を長崎で処刑、そして更に慶長元年(1596)11月15日には26人のキリスト教徒を捕らえて、12月19日やはり長崎で処刑しました。

このあとキリスト教弾圧はどんどん過激になっていきます。

江戸幕府はカトリック国のポルトガルと断交。布教はせずに交易だけしたいと言ってきたプロテスタント国のオランダだけと交流するようにします。そして特に激しい弾圧の行われた島原では「島原の乱」が勃発。しかし、これを境にキリスト教徒は地下に潜伏するようになりました。

幕府はキリスト教徒を見つけだすために「踏み絵」などを行います。当初は踏み絵を拒否していたキリスト教徒たちも、このままでは信仰の命脈が途絶えてしまうとして、踏み絵をやらされた時は、平静を装って聖画を踏み、そのあとで秘密の教会に行って懺悔をする、という作戦に変更します。このため日本国内のキリスト教徒は完全に表面上は姿を消し、密かに、ほんとうに密かに信仰を続けます。

彼らは観音像に模したマリア像を崇敬し、墓のなかなか見つからない部分にこっそりと十字架を刻んだり、といったことをしていました。これを「隠れキリシタン」と言います。

幕末、国がまた開かれ、外国のキリスト教関係者が入ってきた時、彼らは日本国内で最も激しい弾圧が行われた長崎の地に隠れキリシタンを発見し、驚きます。

開国になってもう大丈夫であろうと考え明らかにしたものでしたが、一応キリスト教の禁制は生きています。彼らは即逮捕されてしまいました。この時に検挙されたキリスト教徒は3000人を越えます。

しかし彼らの処遇に関して、欧米諸国から猛烈な抗議が来ます。そして明治政府は方針を一転。明治5年(1872)2月24日、キリスト教禁止の高札を撤去。約300年振りの解禁でした。

そして明治政府では、この際日本でも欧米にならってキリスト教を国教にしよう、という話にまでなります。

これがもし実現していたら、天皇の即位の礼を枢機卿が主宰するようなことになっていたかも知れません。

しかし明治政府内部の話し合いはキリスト教ではなく、新たに設立する新形式の神道を国教にする方向に転換、国家神道の構築が進められ、天皇も仏教から神道に改宗させられることになりました。この方針により、キリスト教は自由化されたとはいえあまり歓迎されない状態が継続し、また従来の仏教・神道ともにかなりの弾圧を受けることになります。

全国の多くの寺が襲撃されて仏像が破壊され、また多くの神社で御祭神の名前が、天照大神に関連の深い神様の名前に書き替えられたりしました。


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