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朝日新聞襲撃事件(1987)

1987年5月3日20:15頃、西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が侵入、二階編集室にいた記者に向けて発砲。小尻和博記者(当時29歳)が死亡。犬飼兵衛記者(当時42歳)も重傷を負いました。

事件の3日後に共同通信などに「赤報隊」を名乗るものから犯行声明があり、同年1月24日に朝日新聞東京支社へも発砲していたことを明らかにしました。このグループは、その後、朝日新聞名古屋本社でも無人の食堂で発砲した他、朝日新聞静岡支社に時限爆弾を仕掛け、中曽根康弘・竹下登両元首相に脅迫状を送ったり、韓国系の団体の施設に発煙筒を投げ込むなどの行動を続けましたが、その後、表だった活動を停止し、ずっと沈黙しています。

事件の性質からこのグループは右翼系の過激団体と推測されましたが、警察では過激な行動を取る団体については左翼系については1960〜1980年代に活発な活動をしていたためいろいろ情報が収集されていたのですが、右翼系の団体ではこういう活動をするものが過去になかったため、全くデータがなく、結局、現在にいたるまで、この「赤報隊」のことについては何も分かっていません。事件は全てもう時効になっています。

元々の赤報隊というのは明治維新の時に、東進する官軍の先駆けを務め、これからは将軍の時代ではなく天皇が直接統治する時代になるのだ、ということを通り道の地域で宣伝してまわったグループなのですが、後に、赤報隊に広報させていた政策(税金の半減など)が実現できないことが分かり、官軍は赤報隊に「偽官軍」の汚名を着せて処刑してしまったものです。リーダーは相楽総三という人でした。この時代には会津戦争なども含め、不条理な事が多く起きています。

現代では赤報隊は多少の行き過ぎなどもあったものの基本的には殉国の士というイメージが強く、そのあたりが朝日新聞事件を起こした団体がその名前に使わせてもらった理由なのかも知れません。


(2005-05-03)

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