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海上保安庁発足(1948)

1948年(昭和23)5月1日、海上保安庁が運輸省(現在は国土交通省に統合)の外局として開庁しました。そして12日に、初代長官大久保武雄(1903-1996)の手で庁旗が掲揚されたのですが、海上保安庁では発足した1日ではなく、この庁旗が掲揚された12日を開庁記念日として祝ってきており、それにちなんで海上保安の日も5月12日になっています。

当時の日本はまだGHQの支配下にあり、新憲法の下で軍備も否定され、まだ警察予備隊(1950創設)もできていない時期です。しかし沿岸の治安,海難救助,密輸の取締などは、とても米軍と日本の警察だけでは手に余るものがあり、マッカーサーは朝鮮情勢の悪化もあり、警察よりも強力な装備を持つ海上保安庁の設置に踏み切りました。

(同年2月8日に北部朝鮮で朝鮮人民軍が創設。2月26日国連は選挙を南部朝鮮のみでおこなうことを決めた。4月29日には朝鮮人民軍が憲法草案を採択)

海上保安庁の業務は主として沿岸警備・安全確保・情報収拾に分けられます。安全確保のためにおこなわれているのが灯台の設置・運用など、情報収集部門は旧海軍の水路部を引き継いだ運輸省水路部を、海上保安庁設置にあわせて、こちらに移管しました(2002年4月1日に海洋情報部と改名)。この水路部は海図の作成・海流の調査などのほか、こよみの計算でも知られており、こよみに興味を持っている方なら、一度や二度は水路部にコンタクトをとったことがあるのではないかと思います。

沿岸警備業務では多数の巡視船・航空機を保有し、領海侵犯や密入国・密輸・密漁などの取締、漁船・客船などの海難救助、などといった人的な問題を処理しています。海底火山の噴火情報などは水路部(海洋情報部)の担当です。

海上保安庁の初代長官を務めた大久保武雄はいつか単独で取り上げたいと思いますが、俳人としても著名なとてもユニークな人物です。東大法学部卒業後、逓信省で国際交渉部門で多くの活躍をしてきた有能な官僚で、海上保安庁を創設すると初期の頃同庁の重要な任務のひとつであった掃海作業を指揮。日本近海の機雷の除去に尽力します。朝鮮戦争ではGHQの極秘の指示により、この掃海作業を朝鮮近海でもおこない、旧海軍の精鋭を含む特別チームで連合軍の仁川上陸作戦(1950年9〜12月)にも協力しました。この協力が当時の講和条約交渉にもひじょうに有利に作用したといわれます。

昭和20年8月15日に戦争が終わったと多くの人が思っていたのですが、機雷の除去作業は海上保安庁のチーム、のちには自衛隊に引き継がれてだいたい1952年頃まで続いています。この業務の中で80名ほどの殉職者も出ており、本当に戦争が終わったのは、そのころだと考えた方が良いのかも知れません。1950年3月に昭和天皇が四国巡幸のため瀬戸内海航路を行った時には、まだまだ危険な時期であったゆえに、事前にそのルートを徹底的に掃海したということも伝えられています。


(2004-05-11)

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