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ディアスが喜望峰到達(1488)

1488年2月3日、ポルトガルのバルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸南端の喜望峰に到達(*1)しました。これより大航海時代は探検から交易・侵略の時代へと変貌を開始します。

この時期ヨーロッパでは最後の十字軍から200年がたち、フランスとイギリスの間の百年戦争も終結。封建社会が安定して、溜まったエネルギーが外にあふれようとしていました。それは領土拡張主義となって現れ、またいままでシルクロードなどの行商人たちに押さえられていた東洋との交易ルートを直接開拓したいという意図が含まれていました。また中国で発明された羅針盤がこの時期西洋にも伝わってきて、飛躍的に航海技術が上昇したこともあげられます。

この大航海時代を先導したのは領土の小さなポルトガルでした。特にジョアン1世の王子エンリケ(Henrique,1394-1460)は「航海王子」の異名をとり、自ら先頭に立って当時としてはかなり危険な航海をしてポルトガルの勢力地を広げていきました。

 1402 カナリア諸島の探検1405 カナリア諸島の探検1415 カナリア諸島の探検1419 カナリア諸島の北方にマディラ諸島があることに気付く(ゴンザレス)1427 マディラ諸島の北西にアゾレス諸島があることに気付く(ディエゴ)1431 アゾレス諸島の探検(カブラル)1434 カナリア諸島の対岸、ボハドル岬を探検(エアンネス)1441 現西サハラ南端、ブランコ岬に到達。(トリスタム) 続いてその南西ヴェルデ岬諸島到達。(バルトロメウ)1445 現ダカール近郊ヴェルデ岬到達。(フェルナンデス)1469 アフリカ西側の凹の部分マシアスエングエマ島到達。(フェルナンドボー)1470 黄金海岸到達1471 赤道通過。1482 コンゴ川河口到達(ドイツ人のベハイム)1488 喜望峰到達(ディアス)1498 ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を周りインドのコージコードに到達

斯くして、ポルトガルは喜望峰経由でインドとの航路を確立しました。

なお、ポルトガルに先行されてしまったイスパニアは西方に活路を見いだし、コロンブスがアメリカ大陸に到達して、こちらを「西インド」と称しました。両者は1494年にトリデシリャス条約を結び、西経47.5度付近の子午線を境に東をポルトガル、西をイスパニア(スペイン)が管理することになりました。このためその後ブラジルは南米で唯一ポルトガル文化圏になります。

イギリスのドレークの登場は1577年。その頃までの100年間はこのイベリア半島の2国が世界の海を支配していました。

--------------------------------------------------------------------(*1)昔の地理の教科書にはこういうのが「発見」と書かれていましたが、 昔から現地に住んでいた人たちにとっては発見も何もあったものでは なく、勝手によそ者が押し掛けてきただけです。しかも荒らし回った。 そこで現在では「到達」という言葉を使う流れが強くなっています。


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