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アラモ砦攻防(1836)

3月6日はアラモ砦が落ちた日です。この日は多くのアメリカ人の胸に誇りとして刻まれています。

その昔、テキサスがメキシコから独立しようとした時、メキシコはそれを制圧しようと、軍隊を派遣し、サンタ・アンナ将軍の率いる3000人の正規軍(資料によっては6000人とも)がサン・アントニオ市に進軍してきました。

この時、189人(資料によって182人とも187人とも)の市民と義勇兵がアラモ教会を砦としてたてこもり、メキシコ軍の大軍の前に一歩も譲らず、大激戦を行いました。

戦闘は1836年2月23日に始まり、13日間の攻防の末、3月6日午前6時30分、アラモ砦を守る最後の兵が倒れ、戦闘終結。この町はメキシコ軍の手に落ちます。189名の市民・義勇兵は全滅。しかしメキシコ軍側の被害は甚大で戦死者1500人と言われています。

メキシコ軍はここは何とか取ったものの、46日後の4月21日、サン・ジャシントの戦いでも今度はサム・ヒューストン将軍の率いる783名の独立軍に大撃破され、死者630名、捕虜730名という被害が出てメキシコ軍は崩壊、サンタ・アンナ将軍は農夫に変装して逃げようとしていた所を捕らえられるという失態を演じました。このサン・ジャシント戦でのメキシコ独立軍の死者はわずかに9名です。

この二つの戦闘によりメキシコ側はテキサスの独立を承認せざるを得なくなり、ここにテキサス共和国が成立しました。

サンジャシトン戦の4月21日は現在テキサス州の祝日になっています。なお、テキサス共和国はその後1845年にアメリカ合衆国に「加盟」しました。

まだ南北戦争(1861-1865)の前ですから、まだU.S.A.というのが国家連合の性格を持っていた時代です。

このアラモ砦の攻防における自己犠牲の精神はアメリカの魂とまでいわれ、戦闘で大活躍したデビッド・クロケットや、この砦の指揮官ウィリアム・バレット・トラビス、副指揮官ジェームズ・ボウイらの武勇伝は多くの伝説を産み出しました。


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