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ナポレオン皇帝就任(1804)

ナポレオンはフランス革命(1789)が起きたとき、ジャコバン党に参加。急進的な改革を支持していました。そのため1794年のテルミドールの反動でロベスピエールが処刑されジャコバン派が失墜すると彼も投獄されますが、この時期に獄中でジョセフィーヌと知り合い、やがて結婚することになります。

(この時期二人とも獄中にあったようなのですが時期が一致しているのか少しずれているのかはよく分かりません。投獄されたジョセフィーヌをまだ自由の身であったナポレオンが取り調べたのが縁だという説や二人は双方出獄後舞踏会で出会ったという説などを聞きますが、だいたい1794〜1795年頃のことではあるようです)

革命軍に復帰して1796〜1797年のイタリア遠征を指揮、1798年はエジプト遠征でロゼッタ石を発見しますが軍役的には失敗。しかし国内の動乱を聞いて急遽帰国、混乱して機能不全に陥っていた総裁政府を倒し3人の統領からなる統領政府を樹立(ブリュメールの反動)。一般にはこれでフランス革命は終結したとされます。

彼はこの軍事政府の第一統領として政治を執り、各種の改革を断行すると共に庶民を混乱に陥れていた革命暦の廃止、カトリックの復興などの穏健な政策を施行、国民の間に強い人気を得ました。1802年にはその人気を背景に終身統領に就任。この時明確に反対したのはジョセフィーヌくらいだったといいます。そして更に1804年5月18日皇帝になってしまいました。

この戴冠式を執り行ったのはローマ教皇ピウス7世。彼は「サクレ・ナポレオン」と言って宝冠をナポレオンの頭にかぶせようとしたといいますが、ナポレオンはそれを制して自ら冠をとって自分の頭に乗せ、それを更に皇后となったジョセフィーヌにもかぶせました。彼らしいエピソードです。

なおフランス語のジョークとして言われることですがこの「サクレ」というのは本来「神聖なる」という意味なのですが俗語で「こんちくしょう!!」という意味もあります。

ナポレオンにとってはこの時期が一番良かったのでしょう。

ナポレオンの戴冠の知らせを聞いたベートーヴェンは彼のために作曲していた交響曲「英雄」の表紙を破り捨てました。

翌年ナポレオンはイギリスに侵略しようと軍を進めますが、ジブラルタル海峡沖のトラファルガーの海戦でイギリス提督ネルソンの自らも死亡するほどの激しい抵抗にあって初めて敗退。

次第にナポレオンの運気は陰っていくのです。


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