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パナマ運河開通(1914)

太平洋と大西洋を、南北アメリカ大陸のつなぎ目の所で結ぶパナマ運河は1914年2月26日に開通しました。

元々スエズ運河を作ったド・レセップス(Ferdinand Marie Vicomte de Lesseps, 1805.11.19-1894.12.7)が1879年5月に計画し着手したものですが、思うように資金が集まらなかったこと、現地特有の病気に人夫が次々と倒れたことなどから破綻。ド・レセップス自身1888年12月に破産する羽目になります。更には政界への献金疑惑からこれが大疑獄事件に発展。ド・レセップスや彼の息子を含む多くの人が逮捕され、彼自身懲役7年を宣告されました。

ここで1902年にアメリカのテオドア・ルーズベルト大統領がこの事業の買取りを表明。工事はアメリカが引き継ぐこととなります。

アメリカは工事で現地の人々に最大限協力してもらうため、パナマが当時コロンビア領であったのを、コロンビアと交渉してパナマが独立できるように支援します。パナマは1903年11月3日に独立を達成しました。

また運河の工事に関して、この地区の丘陵を越えるため、多数の水門を設けて船を水で持ち上げて上の人工湖に導くという、エレベータ方式が採用されます。また、アメリカがこの工事に関していちばん力を注いだのは病気対策でした。

フランスの工事では既に12000人が黄熱病とマラリアで亡くなっていました。当時この病気の原因はまだ良く分かっていなかったのですが、蚊が媒介しているのではないかとする説がちょうど出てきた所だったため現地では徹底的に蚊の駆除を行いました。とにかくボウフラが育たないように、水たまりを見付けては即埋めたり、埋められないような広い池などには油を撒いて表面に油膜を作ってボウフラを撲滅しました。

工事に参加する労働者には薬代・病院代、亡くなった場合の葬儀代は全て無料であると告知。少しでも体調が悪ければすぐに医者にかかるよう促しました。また、万一黄熱病やマラリアの症状が見られた場合は即隔離する体制を取りました。蚊の駆除などの衛生処理チームや健康管理をする医療チームがこまめに工事現場や労働者の宿舎などを含むこのパナマ地区一帯を巡回しました。

このため10年間の工事では、黄熱病の発生が1度あっただけで、大きな流行が発生することなく、工事を進めることに成功しました。アメリカがこの疫病対策で使用した予算は2000万ドルに及びました。

なお、パナマ運河全体の工事費は52.5億ドルです。1937年に完成したサンフランシスコの金門橋(Golden Gate Bridge)が2700万ドルかかっていることを考えると今のお金に直せば総工費で16兆円、疫病対策費が800億円くらいの感覚でしょうか。

こうしてパナマ運河は無事1914年2月26日に開通。同年8月14日に正式オープンしました。その権利は長らくアメリカが保有していましたが1999年12月31日の正午にパナマに返還されました。

現在パナマ運河は非常に多くの船が利用しており、2005年に利用した船は14,011隻にのぼります。全長80kmですが水門通過が大変なので通過にかかる時間はおよそ9時間です。豪華客船は何千万円という通行料をはらいますが、小さな船なら数万円で通過できます。1928年には冒険家のRichard Halliburtonがこの運河を泳いで通過し、その時は通行料36セントを払ったとのことです。

なおパナマ運河の横幅を超える船は通過できないため、世界のクルーズ業界ではPanamaxといって、パナマ運河を通行できるサイズを客船のサイズの上限とすることが定着しています。このサイズは下記のようになっています。 ・船長 294.1m ・船幅 32.3m ・喫水 12.0m(熱帯の水で測って) ・船高 57.91m

日本の飛鳥IIは全長240.8m, 全幅 29.6m, 喫水7.5m で、Panamaxにかなり近い大きさの船になっています。

しかし現在これよりも大きな豪華客船などを造りたいという要望はかなりあり、パナマ運河の拡張が計画されています。


(2007-02-26)

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