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アステカ滅亡(1521)

文書は伝える。

大きな火の炎が空に現れた。ウィツィロポチトリの神殿の尖塔が急に燃えた。シウテクトリの神殿に雷も鳴らないのに稲妻が落ちた。日で照っているのに燃えながら落ちて行く彗星が現れた。湖に波が立ち、風もないのに沸き立っているかのように見えた。

真夜中に女の声が聞こえて「我々は立ち去らねばならない」と言った。狩人が黒い鳥をつかまえた。モクテスマ王が見ると頭の所にスバルのそばの重要な星が映っていた。もう一度見ると鹿に似た動物(馬)に乗った兵士たちの姿が見えた。占い師たちが見た時には何もなかった。

----------------------------------------かつてトルテカを追われたケツァルコアトルが「一の葦」の年に戻ってくるという伝説があった。コルテスが来たのはその年であった。

コルテスは最初タバスコ地帯で現地のインディオと戦い、大首長の娘だが跡目争いに敗れて奴隷になっていたドーニャ・マリーナを妻にした。彼女はナワトル語とマヤ語を話し、色々な情報をコルテスに提供した。彼女とコルテスの間には後にマルティン・コルテスが生まれた。

コルテスは最初モクテスマ王にケツァルコアトルとして畏怖と尊敬をもって出迎えられた。コルテスはいけにえを禁じ、神々の像の前に十字架やマリア像を置いた。彼はアステカに抑圧されていたトラスカラ族と同盟を結び、モクテスマ配下のチョルラを攻め落とした。

モクテスマはこの知らせを聞いて驚いたが、コルテスを丁寧に迎いいれた。しかしコルテスはモクテスマの気が変ったら大変だということで彼を幽閉した。

その頃スペインは勝手なことをするコルテスを討つためナルバエスを送ったが、コルテスはこれを打破した。この間に都に置いて来た部下のアルバラートたちがアステカ人がいけにえの祭をしているのを見て驚きそれを中止させようとして、争いになり結果的にかなりの死者を出した。するとアステカ人はこれに怒りスペイン人を包囲した。スペイン人たちに仲介を頼まれたモクテスマ王は投石で死亡した。スペイン人たちはひとまず敗走した。

コルテスたちはトラスカラに戻って軍勢をたてなおし、今度は周辺の町をひとつひとつ陥落させていった。アステカの暴虐に反感を持っていた者たちが続々と協力した。アステカは長年、いけにえにする人間を確保するために他国に戦争を仕掛けて「人間狩り」をしていたのであった。彼らはそれを「花の戦争」と呼んでいた。

アステカではスペイン人から広がった天然痘のため多くの人が死に、新王クイトラワックも在位80日で死んだ。その後はクワウテモックが立った。彼は勇敢であった。どんなに攻められてもアステカはなかなか降伏しなかった。しかしとうとう最後に、ここまでだと見たクワウテモックは『他の者を撃つな。私をコルテスの所に連れていけ』とスペイン人に言い、コルテスの前に出るとコルテスの腰の短刀を指さして『自分を殺せ』と言った。1521年8月13日のことであった。ここにアステカは滅ぶ。

クワウテモックとは「落ちる鷲」という意味であった。


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