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雄略天皇(420-480頃)

『倭の五王』の一人であり古代の強力な大王(天皇のことをこの時代は大王といった。天皇の呼称は天武の頃から)のひとりである雄略天皇の即位は丁酉年11月13日と記録されています。

この年は単純計算すると西暦458年になりますが、私は462年くらいかも知れないと推測しています。

雄略天皇は中国の歴史書に記されている『武王』であると考えられ、この武王は西暦478年に中国南部の大国・宋と、479年にはその後に生まれた斉と交渉しています。実際問題として、日本書紀では雄略天皇の時代には頻繁に中国南部との間に使節の往来があったことが記されています。

雄略天皇は巨大な天皇陵で知られる仁徳天皇の孫に当たり、その名に象徴されるように武力に長じた強力な大王でした。そのカリスマ性に魅せられて大伴・物部という当時の二大勢力も彼に従って大王家を盛り立てたようです。

安康天皇(たぶん倭王興)の3年、天皇が従弟の眉輪王に暗殺されるという事件が起きます。ここで安康天皇の実弟である雄略は眉輪王及びその協力者と考えられた堺黒彦皇子、および政敵の市辺押磐皇子を一気に倒して、自ら皇位に付きました。この時代は力あるものが皇位につくという時代でした。

雄略天皇の時代は朝鮮との戦役以外には国内に特に大きな事件は起きていません。小さなもめごとはいくつかおきていますが、即刻武力を投入して押さえ込んでいます。なお、古事記には大王のいくつかのラブロマンスが収められています。また葛城の一言主神、三輪の大神、との交流、また浦島太郎の物語などが記紀には記されています。継体天皇以前の天皇の記録はこのように伝説と深く交わり合っています。

この頃の歴史の流れを見てみますと、雄略が亡くなった後は大王家はしばらくいい人材が出ず、一時期は大王位が空席になって飯豊皇女が天皇の代行をした時期などもありました。そしてやがて大伴家が北陸から継体天皇を迎えて、新しい政体を構築、この系列から聖徳太子が登場して天皇家と日本の国の基礎が作られます。


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