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秋山さと子(1923-1992)

ユング心理学者の秋山さと子(本名達子)さんは大正12年(1923)2月26日東京に生まれました。この人の経歴もほんとに特殊です。

生まれた家は曹洞宗のお寺でした。1940年文化学院を卒業し19歳で結婚。しかし28歳の時に離婚し、その後ジャズ歌手やディスクジョッキー、また、デザイナーとして活動しています。そしてその縁で放送や映画関係の仕事もするようになっていましたが、35歳の時に曹洞宗の学校である駒沢大学の仏教学部に入学して本格的に仏教を学びます。

そして1964年西ドイツのテレビ局スタッフの招きで渡欧した時、全くの偶然からスイスのユング研究所で分析医としての訓練を受けることになりました。この時の経緯はご自身の著「チューリッヒ夢日記」(筑摩書房,1985)を見て頂いた方が良いのですが、概ね次のような事情でした。

1964.05月 振袖を着てハンブルグのオペラに出掛けた時、たまたま隣に座っていた作曲家ハインリヒ・ズーダーマイスターと親しくなり、自宅に招かれた。そこで従兄のC.A.マイヤーに出会う。

  続いてコペンハーゲンでキルケゴール会の会長ソエ教授の通訳を務めた後自宅に招かれ、そこでユング派の分析家であるソエ夫人にチューリッヒのユング研究所に寄ることを勧められる。しかしこの時はそんなに気に留めていなかったらしい。

1964.08月 テレビ局のプロデューサーがチューリッヒの親戚の家に寄るように勧めてくれたので、チューリッヒに立ち寄る。しばらく滞在していた時、ヘルムート・ヴィルヘルムという人の易経の講義があるというのでユング研究所へ。講義が終って何人かでお茶を飲んでいる内に研究所の人を紹介され、そのまま入学することになってしまう。この時41歳。

  この時入学することにしたのはしばらくヨーロッパに居たかったので、滞在許可を取るにはどこかの学生になってしまうのが一番楽という安易な考えだったとのことです。

1964.10月 誰か分析家に付かないといけないと言われ、ふとハンブルクで会ったマイヤー氏を思いだし、誰がいいか相談しようと思い連絡を取る。しかし彼こそユングの高弟であり、ユング研究所の初代所長であった。そのまま彼の分析を受けることになる。普通は特別な紹介がなければ、お目にかかれない人であった。

こうして偶然の積み重ねが彼女をこの分析心理学の大拠点に招いたのでした。このあと彼女は1968年までこのユング研究所で学びますが、正式な分析医の資格を取るまでにはまだ時間が掛かるので、途中でいったん帰国しようとしていた時、研究所の勢力争い・分裂騒ぎに巻き込まれてしまいます。結局、研究所をやめることになるのですが、分析医としての地位はマイヤーたちのグループが保証してくれることになりました。

その後、彼女はもちろん分析医としてのカウンセリングでも活躍していますが、現場での活動より、執筆や講演などの仕事が多くなりました。その精力的な広報活動はユング心理学者としては先輩になる河合隼雄氏よりも活発であったかも知れません。

お茶の水女子大学講師、駒沢大学講師、東洋大学講師。東京ユング研究会主宰。

「聖なる次元」「子どもの深層」「母と子の深層」「占いとユング心理学」など多数の著作、また「あずさ弓」「かまきりの讃歌」「メルヘンと女性心理」など多数の翻訳もあります。

1992年1月5日22:50、川崎市で死去。享年68歳。


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