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江川卓(1927-2001)

ロシア文学者の江川卓(本名馬場宏)さんは1927年1月24日東京で生まれました。元巨人の個性的なピッチャーの名前と同じ字ですが、こちらは「すぐる」ではなく「たく」と読みます。

お父さんがロシア文学者の外村史郎(本名・馬場哲哉)で、彼も10代の頃からお父さんの本などを勝手に見て独学でロシア語を覚えました。戦時中は一家で朝鮮半島に渡っており、終戦ととともにやがてロシア兵がやってきて身動きが取れなくなります。中にはかなりガラの悪い兵隊もいたらしいですが、無茶な要求をするロシア兵に18歳の卓氏はその独学のロシア語で堂々とわたりあったといいます。

結局お父さんはロシアに連行されていき収容所で亡くなっていますが卓氏らはなんとか日本に戻ることができました。帰国後東大法学部を出てからも大学ではなく在野にあってロシア文学の研究を仲間内で続けます。この時期はレッドパージのようなことまでおこなわれた反共色の強い時代でロシア語の本を持っているだけで共産主義者かと疑われそうな状況であったため、彼らは地下室に密かに集まって、ドストエフスキーやトルストイなどを読んでいたといいます。

「江川卓」というペンネームにしても、本名で活動しているとGHQなどに睨まれる危険があるということから使用し始めたものであるとのこと。

そして彼らの研究の成果はやがてロシア文化に対しても少しずつ社会が受け入れてくれそうになってきた時期から少しずつ公開されていきます。なんといっても江川氏はドストエフスキーの作品の翻訳で知られるのですが、その美しい訳文には根強いファンがいます。また彼は「罪と罰」の主人公の名前に「悪魔の数字」666が隠されていたことを発見するなど、ユニークな切口の視点も持っていました。

のち東京工業大学助教授、同教授、中京大学教授。東京工業大名誉教授。NHKのロシア語講座を担当しておられた時期もあり、ラジオ講座を通じてもまた多くのファンが生まれています。

2001年7月4日午前9時13分、気管支炎のため都内で死去。享年74歳。


(2004-01-24)

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