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フランキー堺(1929-1996)

昭和4年(1929)2月13日、若い世代には俳優としての印象が強いフランキー堺(本名堺正俊)が鹿児島市で生まれました。10歳の時に一家で東京に転居、旧制中学時代の同級生に小沢昭一や仲谷昇がいます。慶応大学で法律の勉強をしますが、在学中からドラムに夢中になり幾つかの楽団に所属して進駐軍のキャンプで演奏をしていました。フランキー堺の芸名はその頃、付けたものとのことです。(異説では彼はクリスチャンで洗礼名であるとも)

1950年頃からプロとして活動。ゲイスターズ、シックスレモンズなどを経て1954年にはコミカルバンド「シティ・スリッカーズ」を結成して人気を得ます。独特の歌唱法でうたった「セシボン」は大ヒットし紅白歌合戦にも出場しました。

一方では1953年の「岸壁」を皮切りに映画にも出演。更に1958年主演した、「私は貝になりたい」では、平凡な床屋の主人が赤紙で招集され、上司の命令で捕虜を殺害したら、戦後戦犯に問われて死刑になるという役を演じて、国民に強い衝撃を与えます。これにより個性派俳優・フランキー堺の名は不動のものになりました。このドラマは芸術祭文部大臣賞を受賞しています。

このあと、彼は「駅前シリーズ」「社長シリーズ」などの喜劇映画でも活躍、お茶の間にはそういったコミカルな面の印象が強くなっていきました。

「赤かぶ検事」シリーズは1980年から始まったものです。フランキー堺が演じる検事・柊茂は検察事務官からの叩き上げの検事、そして第一期では倍賞千恵子が演じた娘の弁護士・柊葉子は司法試験を若くしてパスしたエリート。番組では毎回のように法廷で親子対決をやっていましたが、現実には親子がぶつかりそうだったら、関係者に余計な疑いを持たれないように代りの検事を派遣するはずで、原作でも親子対決は滅多に発生していません。辛うじて原作の中でそれが許されたのは彼が活躍したのが飛騨高山という田舎であったことと、その事件では事実認定に関しては争点はなさそうだったからです。

「赤かぶ」検事の異名は彼が赤蕪の漬け物が好きで、ある時お弁当に持ってきた赤蕪のタッパを法廷でうっかり落として床中にぶちまけてしまった故でした。特にこの第一期のフランキー堺と倍賞千恵子のテンポのいいやりとりは、見ていてストレスがなく、非常に良質のドラマに仕上がっていました。

この作品の原作は和久俊三。弁護士の資格も持つ著者のこのシリーズは多くの法律の条文が、極めて正確に引用されており、ミステリーマニアにとってはとても刺激的な作品です。私はこの作品を楽しく読むために六法全書と刑法・刑事訴訟法のコンメンタールを買いました。

「赤かぶ検事」シリーズは1986年まで続きましたが、その翌年フランキー堺は食道静脈瘤破裂で突然倒れます。しかしそこから頑張って復帰し、NHKのドラマ「山頭火」などに出演、また赤かぶ検事シリーズも何本かスペシャルで撮っています。更には自らプロデュースを手がけた映画「写楽」を制作して各種の賞を受賞しています。1994年には紫綬褒章受賞。

1996年9月10日深夜、肝不全のため死去。最後の出演作品は「瀬戸内ムーンライトセレナーデ」となりました。

なお、フランキー堺はこの他に落語家(桂文昇)としての活動もあり、また大阪芸術大学の教授の肩書きも持っていました。色々な面を持っていた人でした。


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