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長谷川町子(1920-1992)

TVアニメの超長寿番組「サザエさん」の原作者、長谷川町子さんは大正9年1月30日、佐賀県多久市(孔子の聖廟で有名なところ)で生まれました。

初め画家を志しますが、山脇高女在学中に「のらくろ」の田河水泡の弟子になってマンガを書くようになります。デビュー作は「狸のお面」。

「サザエさん」「いじわる婆さん」以外の作品としては「いじわる看護婦さん」「エプロンおばさん」などがあります。

「サザエさん」は浜辺を散歩していたときに着想を得たものとされ、最初は福岡の今はなき「夕刊フクニチ」に1946年から連載されていましたが、その連載をサザエさんを唐突に結婚させて終了したあと、今度は1949年から朝日新聞に続きが連載されることになりました。

このとき、長谷川さんは続きを書くことなど思ってもおらず、特に最終回で突然結婚させたサザエさんの旦那の顔を忘れていて(^^;福岡まで縮刷版を見せてもらいに行ったそうです。この朝日新聞の連載は最初夕刊でしたが1951年から朝刊に移り、1974年2月「フジ三太郎」にバトンタッチして終了しました。朝日新聞の掲載分だけでも25年間の長期連載でした。

ある時人に勧められてこの「サザエさん」を自費出版に近い形で出版しますが、当時彼女らは本の取引のシステムを知らず、1巻目を大手の取次店が受け取ってくれたため気をよくして2巻目も作ります。ところがそこに1巻目の返本の山が押し寄せてきて、2巻目は扱わないと取次店から通告されてしまいました。

要するにこの本のサイズが横長の変形版であったため本棚に並べにくかったこともあって全く売れなかったということで、家が1巻の返本と2巻の未出荷本の山で埋まります。

どうしよう?と青くなる町子さんと姉の毬子さんに対して姉妹の母はひとこと「サイズが悪かったというのだから普通のサイズに直して次の巻を出せばいい」「でもお金がもうないよ」「借金すればいい」

その3巻も返本されてきたらお金も返せないし家が本で埋れて住めなくなる!と姉妹は心配しますが、それでもこの無謀な母の言葉に従ってサイズを直して3巻を作り、取次店が扱ってくれないので荷物を抱えて直接本屋さんを巡って売り込む毎日が続きます。

すると幸いなことにこれがポツポツと売れ始め、その内1巻や2巻もないか?という問い合わせが少しずつ来ます。おそるおそる「ちょっとサイズが違うんですが」と言いますが、本屋さんも構わないと言ってくれ、おかげでやっと在庫の山は解消して長谷川家は人が住める状態にもどりました。

 (教訓:2度失敗したら3度目に挑戦せよ)

このことがあって以来、姉妹は大手の出版社からの誘いには乗らず、姉妹三人で設立した「姉妹社」から長谷川町子の作品はずっと出版され続けることになりました。

TVの「サザエさん」は1969年から放映が始まり、現在まで30年間放映され続け、そのテーマ曲はいまだにヒット・ランキングの上位にある、とんでもないロングセラー曲です。

人気は安定して続いていましたが、1978年4月から11月まで、朝日新聞に絵文字構成の自伝「サザエさんうちあけ話」を連載、新たなブームを作り出します。この物語はNHKの朝の連続ドラマ「マー姉ちゃん」(出演:熊谷真美・藤田弓子・田中裕子)として1979年4月〜9月に放映されました。

そして、1992年5月27日死去。その死は三十五日の法要(四十九日だと3月にわたるため)が終わるまで伏せられていました。

姉妹社のほうは町子さんが亡くなったあと1993年に毬子さんも体調を崩して続けることができなくなったため廃業。一時期長谷川町子の作品は全て絶版になっていましたが、その後、連載をしていた朝日新聞から全集が刊行されました。


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