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初代引田天功(1934-1979)

最近何かと話題のプリンセス・テンコーの師であり、「大脱出」シリーズ等大仕掛けの手品で著名な初代・引田天功は1934年7月3日、神奈川県横浜市で生まれました。本名は引田功(いさお)です。(疋田説あり)

日大工学部を卒業。在学中に松旭斎天洋に師事して手品を学びました。

(日本のマジックを手妻から手品へと大発展させたのは「魔術の女王」とい われた松旭斎天勝とその師である天一です(いづれも初代)。この天洋は 天一の甥で、天一が考案して世界的に有名になったサムタイ(thumb tie) のマジックを継承しました。天勝・2代目天一とこの天洋を天一の3大弟子 と数えてよいようです。手品道具の店テンヨーを1931年に開いています。)

少なくとも当時、手品師というものは一般に師の一座に所属して助手を長年務め、やがて実力を認められたら一人立ちする、という徒弟制度的な雰囲気の中にあったのですが、天功はそういったコースを辿らず、大学卒業後すぐにNHKの「魔法の小箱」にレギュラー出演。たちまち人気者となります。こういう経歴が一部の保守的な人の反感を買い、そういう流れは現在の2代目天功にも引き継がれていると言わざるを得ないところがあります。

さて天功はこの人気を背景に1960年「東京魔術団」を結成。以後10年間にわたって団長を務めます。1964年には女優の小桜京子(柳家金語楼の姪で駅前シリーズなどに出演した喜劇女優)と結婚。1970年離婚しますが、一人娘の小桜有美(声優)をもうけています。(少女隊の引田智子の母親が分からなかった。どなたかご存知の方、よかったら教えて下さい)

「大脱出シリーズ」の最初は1963年の「水槽大脱出」。しかし何といっても1968年から1975年まで7回にわたって行われた日本テレビの特番での大仕掛けな脱出マジックが彼の名前を高めました。特に1968年最初の特番で実行した「海中大脱出」は、手錠をかけ箱に入れられて水深20mの海に沈められた状態から脱出するというもので、天功が尊敬していたアメリカの手品師ハーリー・フラーニが失敗して命を落としたという危険なものでした。(*1)

1977年にもまた新たな大脱出の特番を計画していましたが直前に心筋梗塞でダウン。結局この特番は前年5月に弟子にしたばかりで「手品もするアイドル歌手」として売り出し中だった朝風まりが代役を務めました。(この時は手品のネタが天功の体重に合せて作られていた為体重の軽いまりでは作動せず、大変だったらしい)その後闘病生活を続けるも回復せず1979年12月31日死去。

まだ45歳。プレイボーイとして多くの浮き名を流し、お金の管理もあまりうまくなくて2億円の借金を残して、しかしある意味では天功らしい死に方だったと言えるかも知れません。

天功は自分以外に一座の中にスターを作ることを嫌う性格であったため、彼の死後誰が2代目を襲名するか明確でなく、結果的に弟子間でかなり激しい争いがありました。これを最終的に制したのがその最後の特番の代役・朝風まりで、彼女が1980年12月「2代目天功」を襲名。襲名後ほぼ最初のテレビ出演で懐かしい「水槽大脱出」をやってみせます。

このとき彼女は今までにない大胆な衣装で登場。新しい時代の到来を予感させてくれました(こういう衣装は小道具を隠しにくい)。その彼女は、現在「プリンセス・テンコー」のニックネームで親しまれ、日本とアメリカを舞台にイリュージョニストとして盛んに活動しています。


【訂正情報】(*1)これは都市伝説であり実際はフラーニは失敗していない。


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