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小鴨由水(1971-)

1992年1月26日、私はとある外科の待合室で祈るような気持ちで時を待っていました。

その前夜、弟が車にはねられ頭を強打。最初は意識がしっかりしていたもの明け方容態が急変。緊急手術が行われ回復を待っていました。そのとき待合室のテレビで女子マラソンの中継が始まりました。

ふーん、女子マラソンなんてやってるんだ。何気なく見ていた私でしたが、やがて目が釘付けになります。1万mから転向した期待の新星・松野明美らを大きく離した、全く無名の小鴨由水(こがも・ゆみ,ダイハツ)が初マラソンで初優勝。しかも2時間26分26秒の日本新記録というおまけつきでした。

(弟は無事助かりました。念のため)

小鴨は早めに飛び出して独走していましたが、松野らはあのスピードでは最後までもつまいと判断。控えめのペースで走っていました。しかし、いつまでも小鴨は落ちてきません。「しまった」と思った松野はスパート。必死に遠く先を行く小鴨を追いかけますが、時既に遅し。ゴール時点で30秒以上の差がついたままでした。

この快挙で小鴨はこの年のバルセロナ・オリンピックの出場権を獲得。2位に終わってしまった松野は既に代表に決まっていた山下佐知子と小鴨に続く3人目の代表の座を有森裕子・谷川真理と争うことになります。ここで谷川はこのあとの名古屋国際で優勝を逃して脱落。最後は陸連の協議に持ち込まれ、散々もめた末、夏の大会でよい成績を残している有森が代表に決定。松野は涙を呑みました。

この時の陸連の選考過程に対しては様々な批判が起きました。更にこの選考の直後には小鴨が優勝した大阪で4位であった山本佳子がボストンマラソンで小鴨と同タイムの日本最高タイ記録を出し、陸連も苦しい立場に立たされました。

さて、その小鴨は突然の幸運に喜び、万全の体制でバルセロナに備えます。大きな体格の持ち主であるため代表の3人の中でも一番大きな期待をされますが、その分、寄せ来る凄まじいプレッシャーにも悩みます。そしてなんと直前の高地トレーニングで体調を崩してしまいました。本番のオリンピックでは、なんとか完走したものの2時間58分18秒の29位。

結局このオリンピックではギリギリで代表の座を射止めた有森が2時間32分49秒で銀メダル。陸連も面目が保たれてほっとしました。

しかし小鴨はこのオリンピックでの失敗で自信喪失。不調に悩んだ末、翌年3月ダイハツを退職。龍谷大学短大に入学。自分を見つめ直す旅に出ます。そして2年後卒業して、福岡の岩田屋に入社。ここで現在、往年の名ランナー重松森雄監督のもと、再起をかけて日々練習に励んでいます。

マラソンは非常に息の長いスポーツ。40歳近くで好記録を出す選手もいます。まだ若いのですから、ぜひまた勇姿を見せて欲しいものです。

その小鴨由水。1971年12月26日明石市生まれ。


(1998.12.26)

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