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増田明美(1964-)

1980年代の陸上長距離界で数々の日本記録を打ち立てた増田明美さんは1964年1月1日、千葉県岬町で生まれました。中学時代はテニスをしていましたが、助っ人として出た陸上の大会で成田高校の滝田詔生監督に見出され、同校に誘われます。そしてこの高校時代に数々の日本記録を塗り替え一躍注目されます。「女瀬古」の異名を受けたのがこの時代でした。

1982年には2月にマラソンの日本最高(2時間36分34秒)、5月に1万メートルの日本最高記録をマーク。この年、高校を卒業して川崎製鉄に入社しました。

1984年ロサンゼルス五輪でマラソンの日本代表になりますが、無念の途中棄権。挫折感と周囲の視線に耐えかねて川崎製鉄を退社。小鴨の時にも書きましたがオリンピックで失敗すると、期待が大きいだけに反動も大きいようです。

しかし増田はここから再起します。1986年アメリカのNECに勤務しながらレースに復帰。1988年の大阪国際女子マラソンで記録こそひどかったものの完走。翌年の東京国際女子マラソンで2時間37分34秒の成績で8位入賞して第一線に復帰しました。

1992年大阪国際女子マラソンで引退することを表明。しかし残念ながらこの最後のレースは16.8kmで無念の途中棄権となってしまいました。このレースを制したのが前述・小鴨由水(2時間26分26秒)でした。

その後の増田明美はスポーツジャーナリストとして活躍。多くのマラソン中継で解説役にもなっています。

さて、この増田明美としばしば多くの人が混同しているのが松野明美です。

「ますだ」「まつの」と似た音感の苗字で同じ「明美」。どちらも長距離選手ということで、両者をごっちゃにした記事などもネットではしばしば見かけます。

松野明美の方は増田より4歳若い1968年4月27日の生まれ。熊本のニコニコドーに勤めながらトラックの長距離で次々と優勝して名前を上げるととともに所属先のニコニコドーの名前も有名にしました。それまでニコニコドーの営業マンは新規出店先の界隈に事前調整のため訪れていた時は「えっと薬屋さんでしょうか?」などと言われていたのが、松野のお陰で「あぁ松野明美さんの所ですね」と言ってもらえるようになったということでした。問題の1992年大阪国際女子マラソンでは2時間27分02秒で小鴨に続く2位に入りますが、五輪代表には不可解な落選。結局1万メートルの代表としてソウル五輪には出場しました。こちらは引退後はタレント的な活動が多くなっています。コミカルなキャラクターはテレビ向きの素材のようです。


(2005-01-01)

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