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宮内義彦(1935-)

オリックスのグループCEO宮内義彦は1935年9月13日、兵庫県に生まれました。1958年に関西学院大学を卒業後アメリカに留学し、ワシントン大学でMBAを取得します。帰国後日綿實業(後のニチメン)に入社、1964年のオリエントリース設立に参加することになりました。

オリエントリースは日綿と三和銀行が中心となり、日商、岩井、東洋信託銀行、日本勧業銀行、日本興業銀行、神戸銀行、が参加して共同で設立したものです。当時高度経済成長やコンピュータ産業の隆盛で、工場機械設備やコンピュータなどのリースに対する潜在的なニーズが高まっていました。

ちなみに、日商と岩井はその後合併して日商岩井となり、更にニチメンと合併して双日となっています。東洋信託銀行はUFJグループ入りしてUFJ信託銀行となっており、日本勧業銀行は第一銀行と合併して第一勧銀となった後、日本興業銀行と合併してみずほ銀行。神戸銀行は太陽銀行と合併して太陽神戸銀行となった後、三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行、改名してさくら銀行、更に住友銀行と合併して三井住友銀行となっています。設立に参加した企業の合併の歴史がそのままここ40年ほどの日本経済史を反映しています。

しかしオリエントリースはそういった出資企業の合従連衡の波とは無関係に独自の発展を遂げていきました。これには初代社長の乾恒雄の意志が強く反映されていたと言われています。会社設立後、積極的に独自の社員採用を進め、6年後には親会社からの出向者がいなくなります。この時期がオリエントリースの会社としての節目で、1970年大証二部に上場。この年に宮内氏は取締役に就任しました。そして1970年代後半、オイルショック後のいわゆる安定成長期への転化が進んでも同社は手広く様々な分野のリースに手を染めることによりかえって成長を続けていきます。

宮内氏は1980年にオリエントリースの社長に就任しますが、同社は1980年代も更にビジネスの範囲を広げていきます。茜証券(現オリックス証券),大阪市岡(現オリックス・エステート)の買収などもありますが、大きなエポックとなったのが、1988年のプロ野球球団・阪急ブレーブスの買収でした。

それまではリースに関わるような仕事をしている人以外にはあまり知名度がなく「オリエント」という名前を聞くとオリエントファイナンス(現オリコ)を連想する人の方が多かったのですが、このブレーブスの買収でオリエントリースは一躍有名企業となります。そしてこれと機を同じくして会社名をオリックスに改め、球団は阪急ブレーブスからオリックス・ブレーブスになることになりました。(1991年にブルーウェーブスに改称)

バブル崩壊後も同社は拡大路線を基本的に変更していません。1991年にはオマハ生命の日本法人を買収してオリックス生命保険とし、通販によって顧客開拓を進め、1997年に破綻した山一証券の子会社山一信託銀行を引き取ってオリックス信託銀行とし、オリックスは総合的な金融グループとしての道を歩み始めます。更には日本債券信用銀行が破綻すると、ソフトバンク、東京海上火災保険と共に受皿銀行を設立し、あおぞら銀行として、銀行業にも手を染めることとなりました。

宮内氏が社長を務めた20年間、オリックスはまさに拡大拡大の路線を走ってきたといえます。2000年に会長に退きますが、その後2001年4月、総合規制改革会議議長、2004年4月には規制改革民間開放推進会議議長に就任。「小さな政府」と「構造改革」に側面から協力しています。


(2005-09-13)

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