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山口百恵

山口百恵という名前は、昭和の戦後ということに限っていえば、それを完璧に越える存在というのは、美空ひばり以外にあり得ないのではないか、とも思えます。

大きなレコードセールスを記録した歌手は他にも多数いましたが、これほどファン層の広かった人というのは、今後もそうそう出ないのではないでしょうか。それほど、子供からお年寄りまで、そして男女の別なく、彼女は愛されました。

スター誕生の第一回のグランブリを取ったのが森昌子、ちょっと記憶が不確かですが、確か第三回のグランプリが桜田淳子で、山口百恵は第三回の三位ではなかったかと思います。(*1)

ずっと後になってから司会の萩本欽一は「たいてい、後から売れた人というのは覚えているのですが、山口百恵だけは実は記憶がないんですよ」と語っていました。タレントを見分ける力を持つ人の目に印象を残さないほど彼女は目立たない存在だったのかも知れません。

森昌子・桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と言われますが、この三人の中においても、圧倒的な歌唱力を持つ森、アイドル的な魅力を持った桜田に比べて、当時山口百恵は一歩下がった感じがありましたし、当初ファンも少なかったのではないかと思います。

その山口百恵が独自の世界を切り開いていくことになるのが1974年6月の『ひと夏の経験』(千家和也作詞・都倉俊一作曲)でした。ちょっと思わせぶりな歌詞は当時中高生の間でも「一番大切なものって何?」とずいぶん話題になりました。そして更に1975年初頭の映画「伊豆の踊子」では少し肌も見せて「大人の魅力」という路線を確立します。また一方ではテレビの「赤い」シリーズで彼女は主婦層に着実にその名を浸透させていきました。

しかしこれらのいろいろなことも、その後の展開がなかったら、彼女は一人の「多少歌も歌える個性派女優」ということで終わっていたでしょう。

1976年6月、山口百恵は初めて阿木燿子・宇崎竜童のコンビから提供を受けた「横須賀ストーリー」を歌います。この歌は、それまで「歌が下手だから女優中心で活動している」と見られがちだった百恵に、独特の歌唱力があることを強く印象づけた作品でした。これはまた「ダウンタウンブギウギバンド」で一世を風靡した宇崎が、初めて高いプロデュース能力を持つことを見せた作品でもありました。

この年「これっきりですか?」というのが流行語になり、この曲はレコード大賞の作詞賞に輝きます。授賞式には横須賀市長も駆けつけて応援しました。

そして翌年今度は、さだまさしの「秋桜(コスモス)」でまた別方面のファンを開拓。百恵はこの曲で初めて、レコード大賞の歌唱賞を取りました。そして、翌年は最大のヒット曲ともいえる「プレイバックPart.2」を出します。

この曲によって山口百恵はスーパースターの地位を獲得しました。この曲は紅白歌合戦で歌ったとき、NHKが強引に歌詞を「ポルシェ」から「車」に変えさせたことでも話題になり、かつてかぐや姫が「クレパス」を「クレヨン」に変えさせようとしたNHKと対立して紅白を辞退する騒ぎとなった時とも比較され、いろいろな論議を呼びました。

77年の「秋桜」、78年の「プレイバックPart2」, 79年の「しなやかに歌って」と、百恵は3年連続でレコード大賞にノミネートされています。

この時期の百恵の曲というのは他にも珠玉揃いです。

77年 イミテイション・ゴールド  その先3年ほどの路線を予感させる 78年 乙女座宮   セールスは多くなかったが、星座ファンを開拓 いい日旅立ち JRのキャンペーン。今でもカラオケで歌われている。 79年 愛の嵐    何十枚ものガラスが割れるセットが話題を呼ぶ 80年 ロツクンロール・ウィドウ 事実上の最後の純粋なヒット曲

そしてこの80年、三浦友和との結婚を機として惜しまれながら引退。その年レコード大賞は彼女に特別大衆賞を贈りました。

彼女の活動はわずか8年間ですが、その中身はひじょうに濃いものであったといえるでしょう。--------------------------------------------------------------------(*1)メルマガを読んだ方からお便りを頂きました。それによると桜田淳子は二回目のグランプリで、山口百恵は第三回の二位か三位ではないか?とのことです。


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