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大屋政子(1920-)

「うちのおとーちゃん」の名(?)文句で知られた実業家の大屋政子さんは1920年(大正9年)10月27日、大阪府で生まれました(旧姓森田)。大阪音楽学校卒業後、コロンビアから歌手としてデビュー。戦時中は軍属歌手として活動していました。戦後、大屋晋三(1894.07.05-1980.03.09)と不倫の上略奪婚。この正式に結婚できたのが1950年ですが、この年に大屋氏は帝人の社長に任命されています。(晋三は元々は帝人の親会社の鈴木商店の社員)

晋三氏はその後参議院議員となり、吉田内閣の大臣などを務めていますが、その間に帝人が戦後の紡績産業の斜陽に伴い経営が悪化し、それを建て直すために国会議員をやめて帝人の社長に復帰しました。

晋三氏は帝人を建て直すためにはポリエステル繊維の技術を外国から導入することが必要と決断。当時帝人が大きく成績で負けていた東レ(東洋レーヨン)の田代茂樹氏に頭を下げて両者の共同プロジェクトとして、ICI社から新繊維に関する製造技術のライセンスを受けました。この繊維は、帝人のte 東レのtorからとって「テトロン(tetoron)」と呼ばれています。

このテトロンで会社を建て直した晋三氏でしたが、そこでさっと引退していれば、名経営者として昭和産業史に名を残していたのですが、この後がよくありませんでした。繊維だけではこの先、帝人はダメになるという思いから様々な事業に手を出すのですが、それがことごとく失敗します。しかも失敗しても責任を取ろうとせず、1980年に死ぬまで帝人の社長の座に座り続けました。このため、晋三氏の死後、帝人は大規模なリストラによる業務建て直しをする羽目になります。

しばしば晋三氏の死後帝人の業績が良くなったことから、それを大屋政子氏の業績と誤解している人もあるのですが、大屋政子は帝人の経営自体には関わっていません。

ただ経営センス自体は晋三氏より良かったことは確かなようで、多数の会社を経営し、その傍ら自ら広告塔となってタレントとしてテレビに出演、「おかしなおばちゃん」というイメージで売り込みました。その一方で文化活動にも熱心で、大屋政子バレエ財団の設立などで諸外国から表彰されたりしています。

もっともさすがの政子氏もバブル崩壊では所有していたゴルフ場がその直撃を受けてかなりきつい目に遭っているようです。

1999年1月16日死去。


(2004-10-27)

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