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沢村忠(1943-)

「キックの鬼」と言われたキックボクシングの沢村忠は、1943年1月5日、満州の新京生まれです。

幼い頃、いろりにくべる薪がなくなった時、祖父が空手で裏山の木を折って薪を取って来ました。枯れ木ではない生木が空手で折れる、ということに少年は感動し、空手の道に入ります。

そして彼が剛柔流空手で頂点を極めた時、「空手よりもっとすごいものがある」といってきた人物がいました。若き沢村はその挑戦にのり、タイのムエタイの選手と他流試合をすることになります。

最初に戦った相手には簡単に勝ったものの、次に対戦したもっと強い相手には完璧に叩きのめされてしまいました。やられたらやり返す。沢村はそう誓って、ムエタイを少しアレンジして新しく成立した「キックボクシング」の選手としてのスタートを切るのです。

「キックボクシング」は、野球・相撲・プロレス・プロボクシングに続く「第五のプロスポーツ」と宣伝され、TVでも放映され、沢村は連戦連勝で一躍スターになりました。

彼はその連勝街道の中である時「真空とび蹴り」という必殺ワザを編み出しました。これは高くジャンプすることにより、一瞬空中で止まって見え、そこから蹴りが体重をのせて落ちてくる、というものでした。止まるのなら本当は「無重力」のはずですが「真空」の方が語感がよいため、この命名になったようです。

この「真空とび蹴り」は後に足の先で蹴るのではなく膝で蹴るもっと強力な「真空とび膝蹴り」に改良されました。

彼がまだ売り出し中の頃のエピソードにはいろいろなものがありました。

最初の頃はほんとうにお金がなく、食い物に困ってドッグフードを食べていた時期もあったといいます。またある時は、山籠もりして特訓をしていて、辛くてもう逃げ出したくなった時、片方の眉を剃ってしまったそうです。人間の顔というのは片方だけ眉がないと、とても変に見えるので、眉が生えそろうまでは山を下りれないように自分を追い込んだ訳です。

ムエタイの選手との2戦目で敗れた他は、たった一度の引き分けをはさんで、ずっと勝ち続けた沢村でしたが、やがてその彼でも負ける時は来ました。

そしてその敗戦を期に沢村はキックボクシングの現役を引退。そして彼の引退とともにキックボクシングの人気も急降下してしまいました。


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