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貴ノ花(1950-2005)

現・貴乃花親方の父で名大関としてファンに親しまれた(初代)貴ノ花は1950年2月19日に室蘭市で生まれました。本名は花田満です。兄は初代・若乃花ですが、この頃は既に関取になっており、同年初場所で新入幕を果たした所でした。ふたりは22歳も年が離れています。なお、若乃花・貴ノ花の兄弟は青森県弘前市の出身では?と思っておられる方もあるかと思いますが、若乃花が生まれたあとで一家は室蘭市に引っ越しており、貴ノ花は室蘭で生まれたのです。ただし出身地は弘前市になっています。

中学時代は水泳選手として活躍していましたが、中学卒業後、兄のいた花籠部屋への入門を希望。兄は当初反対していましたが、弟の熱心さに折れて「兄弟の縁を切る」ことを条件に入門を許可しました。1965年夏場所初土俵。

弟だから優しくしていると思われたくない兄の他人より厳しい指導もあり彼はどんどん昇進し1968年には史上最年少で初十両。同九州場所でまた史上最年少で幕内昇進を果たしました。

幕内では同年代の輪島とともに活躍し、人気も二分していました。ふたりは1972年の九州場所で同時に大関に昇進しましたが、輪島がそのままトントンと翌年名古屋場所で横綱に昇進したのに対し、貴ノ花は肝心な所でなかなか勝つことができず、ずっと大関のままでとどまることになります。

横綱になるには2場所連続で優勝またはそれに準じる成績をあげなければならないわけですが、彼はどうしても成績にムラがあり、好成績の場所の次で今一ということがあり、それが長期間大関を続けることになりました。それでも、巨体力士が増加していく中で、細い体で上位の力士たちと対等に戦っていく姿は特に女性ファンの注目を集め、アイドル的な人気を持っていました。

1975年春場所では貴ノ花を追い越して先に横綱に昇進していた北の湖と同点決勝になりますが、これを下してついに初優勝を成し遂げました。この時、優勝旗を渡すのは本来は審判部長の高砂が渡すべき所を、高砂の粋な計らいで審判副部長であった兄の若乃花(当時は二子山親方)が渡しました。

(ちなみに若乃花は貴ノ花の息子の貴花田−後の二代目貴乃花−が初優勝した時には、理事長として賜杯を渡しています)

この場所での優勝でいよいよ綱取に期待が掛かりますが翌場所は9勝6敗、次の場所は病気のため4敗11休となり、もうダメかと思ったらその次の秋場所で、再び優勝。しかしその次の場所は8勝7敗とふるわず、またまた綱取りはなりませんでした。結局貴ノ花の幕内優勝はこの2度のみでした。

結局貴ノ花は大関在位50場所という、当時として最長在位記録を出しながら横綱になることなく1981年初場所で引退。横綱になっていたら兄の若乃花の名前を継いでいたのでしょうが、その四股名は弟弟子で横綱になった若三杉が継ぎました(2代目若乃花:後の間垣親方)。

引退後は一時年寄り鳴門を名乗ったあと藤島に名跡変更。1982年12月に二子山部屋から独立する形で藤島部屋を興します。(二子山部屋は1962年に若乃花が花籠から分離独立して興したもので弟の貴ノ花は当然一緒にそちらに移っていた)

この藤島部屋からは息子の貴乃花・若乃花兄弟のほか、安芸乃島・貴闘力・貴ノ浪などの名力士を輩出します。そして1993年には定年退職を目前にした兄の二子山部屋を継承、両部屋が合体して幕内10人を持つ大勢力となりました。この時に旧二子山部屋から新二子山部屋に合流した力士としては若翔洋や三杉里などがいます。

2004年2月に息子の(2代目)貴乃花に部屋を譲って部屋運営からは引退、事業部長になります。しかし、そのわずか1年3ヶ月後、2005年5月30日にガンのため死去しました。55歳でした。

(2011-02-19)


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