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トマス・モア(1478-1535)

1478年2月7日、「ユートピア」の著者として知られるトマス・モアがロンドンで生まれました。祖父・父ともに法律家で、彼もオクスフォード大学に学んだあと法律の学校に進み、1510年頃から法律家として活動します。1515年に国王ヘンリー8世の外交使節団のメンバーになり、その後1517年から国王の要請により宮廷に仕えることとなります。1529年には大法官に任じられます。

一方彼は少年時代にカンタベリ大司教の書生をしていたこともあり、敬虔なキリスト教徒でした。彼は聖書をよく研究しており、当時の腐敗したカトリックのあり方には疑問を持っていたようで、むしろプロテスタント的な思想の持ち主であったようです。彼は1505年27歳の時に結婚していますが、その時も神の道に生きるのなら結婚はすべきではないのではないかと悩んでいるようです。

そんな彼の心を大きく揺るがす大事件が起きました。ヘンリー8世の離婚問題です。ヘンリー8世はイスパニア王女カザリンと1509年に結婚していましたが彼女の侍女であったアン・ブーリンと恋に落ち、彼女と結婚するためにカザリンを離別しました。しかしこの離婚をローマ法王クレメンス7世は許可せずここにヘンリー8世は英国国教会を設立してイギリスの教会のカトリックからの分離を断行します。

このヘンリー8世の行為はモアにとっては許し難いものでした。彼は大法官の地位を辞任。ヘンリー8世とアン・ブーリンとの結婚式にも出席しませんでした。更にヘンリー8世を英国国教会の長とする「首長令」にも異議を唱えます。彼は反逆者として査問委員会に呼び出されます。

査問委員会に場でも彼は自分の信念を決して曲げようとはしませんでした。彼は1534年ロンドン塔に幽閉され、翌年7月6日、処刑されます。自分の信じる神の道に捧げた人生でした。

なお問題のアン・ブーリンもモアが処刑された翌年、国王に飽きられて処刑され、ヘンリー8世はジェーン・シーモアと3度目の結婚をします。

モアが『ユートピア』を書いたのは1516年頃です。2巻に分かれていて第1巻では国王のあり方について述べており、ヘンリー8世についてもかなりの批判を行っています。しかし当時は国王は若さから来る寛容さで、そういう批判を逆にしっかり受け止め、良き王であろうと努力していたのかも知れません。

第2巻が仮想の国「ユートピア」の様子を記述したものです。「ユートピア」とはラテン語で「どこにもない国」という意味。ここでは結婚したとはいえ心の中では神の道に生きる、キリスト者としてのモアの理想像が描かれています。

ユートピアは基本的に共産社会です。私有財産は禁止され貨幣もありません。全ての国民に労働の義務があり、定期的に農村での労働と都市での労働を行うことになっています。

全ての国民が労働に従事し、搾取層は存在しないため、労働は1日6時間で充分とされています。朝号令とともに一斉に仕事をはじめ、お昼休みをはさんで、午後には一日の仕事が終了します。食事は食堂で提供されるので女性が食事作りに煩わされることはありません。残った時間は家庭で家族そろって団らんの時間となります。

信仰の自由は保障され、各自が自分の信じる神に祈れるように、教会にはいっさいの偶像・宗教画の類はありません。安息日には人々は芸術や音楽にいそしみます。職業軍人はなく、侵略のための戦争は禁止されていますが、国土防衛のために国民全員が男女の区別なく民兵として訓練を受けています。

質素・倹約・勤労が推奨され、仕事を怠けるものは罰として強制労働に従事させられます。30戸程度のグループから区長が選出され、10区くらいの領域から町長が選出され、その町長たちの中から市長が選出されます。

モアはこの社会は理想的であるため住民は何の苦悩も持っていないと書いていますが、こういう社会で住民が「何の苦悩も無い」と言っていたら、私は背筋が寒くなります。


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