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ノストラダムス(1503-1566)

今日では予言者として知られるノストラダムス(本名ミシェル・ド・ノートルダム)は1503年12月14日フランスのサン・レミ・ド・プロヴァンスに生まれました。

おじいさんのピエールが占星術師でアンジュのルネ王の侍医であったという説もあるのですが、Erika Cheetham によればそれは俗説で実際は穀物商であったといいます。父のジャックは医者の娘と結婚して収税吏をしていたとのこと。

                アンヌピエール            ‖―――セザール‖――――ジャック  +――ミシェルブランシェ   ‖―――+   ‖―――+―男子レニエール |  アドリエ +―男子|+――ジャン(詩人・判事)

ミシェルは5人兄弟の長男で、末弟のジャンも詩人として知られ、後にプロヴァンス高等裁判所の判事も務めています。ミシェルは小さい頃から高い才能を示したため、祖父のピエールが彼にラテン語や数学・占星学などを教えたともいいます。

初めアヴィニョンの学校に入りますが、彼は優秀すぎて浮いた存在であったようで、後にモンペリエの大学に移り、ここで医師の資格を取ります。そして南フランスで当時流行っていた悪疫の撲滅のための治療活動に従事し、この時、この病気に対する特効薬を発明したともいいます。

やがて彼はアドリエ・ド・ループジャックという女性と結婚し二人の男の子をもうけますが、おりしもヨーロッパにペストの大流行がやってきました。そして彼はこのペストで最愛の妻と二人の子供を失ってしまうのです。

医者の身であるにも関わらず自分の家族も救えなかった、という無力感に打ちひしがれていた彼に、妻の親が「娘が死んだ以上、持参金を返せ」と言ってきました。また日頃の彼の科学者としての異端的な言動を教会が問題にしようとしていました。

1538年頃から1554年まで彼は放浪を続けており、その間の消息は分かっていませんが、いくつかの伝説は残されています。

 彼がミラノに立ち寄った時、一人の若い修道僧とすれちがった。その時ミシェルは突然彼の前にひれ伏して「猊下」と言った。同行していた別の修道僧が「お前は頭がおかしいのか?」と思わず聞いたら彼は「貴いお方の前で、ひざまずいて礼をするのは当然です」と答えたという。その修道僧は40年後ローマ法王になった。

 ある町の領主に歓待された時、庭に黒豚と白豚がいるのを見て領主がふと「この豚たちの運命が分かるかね?」と聞いた。するとミシェルは「黒豚のほうは今夜あなたに食べられてしまうでしょう」と答えた。面白いと思った領主はコックに白豚のほうを料理して今夜の食卓に出すよう命じた。ところがコックが白豚を捕まえようとしていた時、狼がやってきてその豚をさらって逃げてしまった。仕方なくコックは黒豚を料理した。その晩、領主がミシェルに「ほら、これは黒豚ではなく白豚の方だよ」というとミシェルはコックに確認して下さいという。そこで領主がコックを呼ぶと事故があって、やむを得ず黒豚を料理したことが報告された。

1554年南フランスに大規模な病気の流行があり、ミシェルはエクスやリヨンの市長に請われてその地に赴き、献身的な医療活動にあたります。この活動が評価されて、彼はまた大手を振って外を歩ける状況になったようです。彼はこの年アンヌ・ボンサールという女性と再婚しています。またこの頃から彼は占い師としてもかなり知られるようになっていたようです。

1556年には彼は王妃カトリーヌ・ド・メディシスに呼ばれパリに赴き、国王アンリ2世とその子供たちに関する占いをしています。ミシェルは4人の王子のうち3人が王になるだろうと予言したようですが、これはのちにその通りになっています。(フランソワ2世・シャルル9世・アンリ3世)

王妃はパリで2度、その後ミシェルの晩年の居住地であるサロンの近くを偶然訪れた時にもう1度と合計3度も彼を謁見しています。コペルニクスの地動説の支持者でもあって(天体の位置を計算しようとすると従来の周天円方式よりコペルニクスの地動説方式の方が遙かに計算が楽)常に教会の動向を伺っていなければならない彼としては最も心強い支援者であったかも知れません。

この王妃がサロンを訪れた時に従者として来ていた少年に「彼は後に国王になるであろう」と予言したという伝説もあります。その少年は後カトリーヌの娘のマルグリットと結婚してブルボン王朝を興したアンリ4世でした。

晩年は医師としての活動よりも占い師としての活動のほうが多くなっているようで、彼のもとには多数の著名人が訪れて、様々な占いの依頼をしたようです。そして彼は1566年7月2日に亡くなりました。

ノストラダムスの占いの手法は2つで、ひとつは小さい頃から学んでいた占星術。もうひとつは水鏡占いと呼ばれるものです。これは水晶球占いなどと同様のものですが、この占いを遣える人は現代でも的中率が非常に高いことがその筋では知られています。ただし、これはものすごいエネルギーを消耗しますし、天与の才能がないとまずできない占いです。

彼が残した有名な予言詩?群もほとんどがこの水鏡占いによって得られたものではないかとの説もあります。彼の詩をいろいろな事件に無理にあてはめて「予言がまた当たった」などと騒ぐのは自由ですが、本人がどこまで意味を考えて、この大量の詩をのこしたのかは、今となっては謎でしょう。

ただ彼にとっては一種の黙示録的な世界のビジョンがあって、それを書かずにはいられなかったのでしょう。日本では「諸世紀」という誤訳がまかりとおっていますがむしろ「百篇詩集」と訳すべきでしょう。各々百篇から成る四行詩を集めたものを合計10集出していますが、なぜか第七集だけは42番でストップしています。書かなかったのか書いたが差し障りがありすぎて世に出さなかったのかは不明です。第11,12集も出す予定があったそうです。

彼の詩の中に年の数字が出てくる箇所は非常に少ないのですが、この詩の英訳をして広くひろめたHenry C. Roberts は例えば第10集91篇の

 1609年ローマの教会その年の初頭に選挙を行うだろう灰色と黒色の者ひとりカンパーニアより登場するこの男ほど腹黒い人間は見たことがない(流智明訳「ノストラダムス全予言」二見書房)

という文章の1609という数字はミケアの宗教会議の年(325年)を基点とした数字で、これは1934年を意味し、この腹黒い男はヒットラーのことだと言います。このロバーツ流の解釈ですとみんなが「外れた。良かった」などと言っている「1999年7の月」(第10集72篇)というのも、2324年のことということになるわけですが....

ここまで自由な解釈をしてしまうと、どうとでも読めるような気もします。ユングは夢を分析する時、必要以上にシンボルを「解釈」するなと警告しています。「なぜなら、どんな夢からどんなことでも読みとれてしまうから」

『予言をするのは簡単だ。但し時期と事実の両方を同時に当てることは難しい』という西洋の名言(迷言?)もあるようですし。。。。


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