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ベートーヴェン(1770-1827)

ドイツ3大Bの一人であり、交響曲という音楽形式の完成者であり、耳が不自由というハンディキャップを乗り越えて音楽活動をし、楽聖とうたわれた人、ルードウィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1827年の3月26日に亡くなりました。

ベートーヴェンが生れたのは1770年12月16日、ボンでした。音楽家の父にスパルタ教育を施され、彼もそれに答えて14歳で宮廷オルガン奏者助手に任命されるなど早熟な所を見せます。

少年時代のベートーヴェンは一度ウィーンのモーツァルトの前で演奏しています。その時モーツァルトはいつになく真面目な顔で「諸君この少年を記憶しておきたまえ」と言ったと言われています。

ベートーヴェンが本格的にウィーンに進出したのはそのモーツァルトの亡くなった翌年でした。ハイドンやサリエリらについて高度な勉強を続け、多数の貴族の子女の音楽家庭教師となって安定した音楽活動を行うことができました。

しかしその彼が25歳の時から耳の病気に悩まされはじめます。苦しみながらも「悲愴」「月光」などのピアノソナタを書き続けますが、耳はどんどん聞こえなくなっていき、とうとう1802年10月6日ウィーン郊外のハイリゲンシュタットで、二人の弟に宛てた遺書を書きました。(ハイリゲンシュタットの遺書)

しかし彼はここで自殺しませんでした。美しい自然にあふれるハイリゲンシュタットの空気が彼の心を癒やしたのでしょうか。ピアノソナタ「熱情」を皮切りに、「交響曲5番運命」「交響曲6番田園」などの名曲を書き上げます。耳が聞こえなくても彼の心の中にはいつも美しいメロディーが流れていたに違いありません。その心の中のメロディーの極致が「交響曲9番合唱付き」でしょう。

この第九交響曲の初演はベートーヴェンが一人で指揮をしましたが、その素晴らしさに観客が興奮、途中から激しい拍手をしたといいます。しかしベートーヴェンはそのことに気が付かず、見かねたアルト歌手のウンガーが手を添えて振り向かせてやったとのことです。

【第九の呪い?】

交響曲という音楽形式を考案したハイドンは77年の生涯に108個の交響曲を書き、次の世代のモーツァルトはその半分の35年の生涯に41個の交響曲を書いています。

ところがその次の、交響曲を完成させたといわれるベートーヴェンは56年の生涯にわずか9個しか交響曲しか書いていません。ベートーヴェンは一応第10交響曲の構想もあり、それも合唱付きになるはずだったそうですが実現しないまま逝ってしまいました。

さてベートーヴェンの次に出てくるのはシューベルトですが、彼は8個の交響曲を書いた後、最高傑作の「未完成交響曲」をまだ第三楽章までしか書いていない内に尊敬するベートーヴェンの死の知らせを聞いたショックでわずか31歳で死んでしまいます。

この辺りから『交響曲9番を書くと死ぬ』という噂が立ち始めました。そしてその「噂通り」に「交響曲9番新世界より」を書き上げたドボルザークもそのまま次の交響曲を書かないまま亡くなります。

この噂にビビったのがマーラーでした。彼は9番目の交響曲を書き上げた時、これで死んでたまるかと考え、その交響曲に番号を付けず「大地の歌」というタイトルにしました。

しかし9曲目を書いても死ぬ気配がないので、安心して第9交響曲を書き上げますが、第10交響曲を書いている途中で亡くなってしまいます。(現在マーラーの10番は彼の遺稿を再編して演奏されています。)

このジンクスを打ち破ったのは現代の天才ショスタコビッチでした。彼は68年の生涯に15個の交響曲を完成させています。


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