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リンカーン(1809-1865)

1809年02月12日、アメリカ第16代大統領となるアブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)がケンタッキー州ハーディンの「丸太小屋」の中で生まれました。

お父さんはバージニアから移ってきた農夫で、1806年に結婚し、結婚後小さな丸太小屋で暮らしながら農業をしていました。アブラハムは二人の間の2番目の子です。一家は1814年にインディアナに移りますが、そこで病気が流行、母と姉、それに叔父・叔母を亡くします。お父さんはケンタッキーに帰り、そこで3人の子供を持つ女性と再婚。この新しい母ともアブラハムは関係が良好で、後に彼は「天使のような人でした」と言っています。一家は更にイリノイに移ります。

アブラハムはやがて成人すると友人達と川を下って荷運びをする仕事を始め、やがてニューセイレムの町の酒場で、ちょっと変わった人物として知る人ぞ知る存在になります。そしてその酒場の友人たちに担がれて、イリノイの州議会の選挙に出ることになりますが、この時は落選しています。しかし次の選挙でもまたまた引っ張り出され、1834年初めて議員になりました。

議員になった彼はよく働き、また少し法律のことも覚えなければ、といって勉強し始め、1836年弁護士の資格を取得。その頃には彼はイリノイ州議会の中でもリーダー格の一人になっていました。そして1846年、彼は国会議員となります。

その時期、アメリカはメキシコとの戦争をしていましたが、世論は必ずしもこの戦争に賛成ではありませんでした。リンカーンはこの戦争を批判する声明を出し、戦争を支持する議会の多数派である民主党と対立して、一時はまともな政治活動ができない状態にまでなります。しかしそこから彼はちょうど壊滅状態になっていたホイッグ党のメンバーを再編して新しい党「共和党」を構築。そのリーダーとなりました。

その頃アメリカ・メキシコ戦争を支持し、その戦勝の結果として得た多くの領土に畑を展開して多くの黒人奴隷による木綿生産を行っていた富農たちが民主党を支持していました。それに対して共和党は北部の都市生活者たちや西部の開拓農民たちを支持基盤にしました。この支持者たちは南部で黒人が人間扱いをしてもらっていない事態をひどく不公正なことと考えていました。

この南北の対立は年々深刻になっていき、やがてリンカーンが1860年大統領に当選しますと、南部諸州はアメリカ合衆国から分離し、アメリカ連合国(Confederate States of America)を結成する旨の宣言をしました。そしてそれを認めない北部諸州との間に武力衝突が発生します。

南北戦争(Civil War)の始まりでした。

南軍を率いたのがRobert Edward Lee将軍(1807-1870)、北軍を率いたのがかつてはリーの部下であったUlysses Simpson Grant将軍(1822-1885)でした。戦況ははじめ南軍が優勢でしたが、そのさなかリンカーン大統領が1863年「奴隷解放宣言」を出すと、北軍側の支持者が広がり戦況も北側が盛り返してきます。

そしてこの年の7月1〜3日のゲチスバーグでの戦いで北軍が勝ち翌4日に西部戦線でも北軍のグラント将軍が直接指揮する部隊が勝利を収めると、一気に北軍の優位が確定しました。

戦争は一応1865年まで続きますが、リンカーンは大勢が決したこの年の11月そのゲチスバーグの激戦地を訪れここで命を落とした兵士たちのための墓地を建設することを明らかにしますが、その時に行われたスピーチは、後世民主主義の基本を述べたものとして有名になりました。

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent a new nation cenceived in Liverty, and dedicated to theproposition that all men are created equal.

87年前(*1)我々の祖先はこの大陸にやってきて自由を望み、全ての人は平等であるという命題を掲げた新しい国を作りました。

Now we are engaged in a great Civil War testing whether that nationor any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We aremet on a great battle field of thar war. We have come to dedicate a portion of that field as a final resting place for those who have gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

我々がこの大きな内戦を戦ったのはそのような理想を掲げた国が存続していくことが可能なのかが試されるものでした。私たちはその戦争の激戦地を目の前にしています。そしてそのような国の存続のために命を捧げた人々の安らかな眠りの場として幾ばくかの場所を作ろうとしています。これはまさにしなければならないことです。

But, in a larger sence, we can not dedicate --- we can not consecrate--- we can not hallow --- this ground. The breave men living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remenber what we say here, but it can never forget what they did here.

しかし大きな意味で言えば私たちは決してこの土地を決して捧げることも清めることも神聖なものとすることもできないでしょう。ここで戦い亡くなり或いは生き残った勇敢な人達が既にこの土地を気高いものにしているからです。そして私たちがここで何かを言ったとしてもそれについて世界はほとんど記憶に留めてはくれないでしょう。

It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be dedicated to the great task remaining before us --- that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion --- that we here highly resolve that there dead shall not have died in vain ---

私たちがむしろしなければならないのは、ここで戦った人たちの理想を更に進めていくことです。私たちはこの目の前に残された仕事を仕上げなければなりません。この名誉ある死者たちが最大限の献身によってもたらしてくれたその結果を更に大きなものにしていかなければなりません。彼らの死が決して無駄な物であってはなりません。

that this nation, under God, shall have a new birth of freedom --- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

私たちがしなければならないことは、この国において、神の下に新しい自由な社会を築いていくことです。そして人民の、人民による、人民のための政治は決して地上から消滅してはならないのです。

---------------------------------------------------------------------この演説を実際声に出して読んでみると、全体的にとても音韻がいい上に、it is for us the living 以下のくだりはものすごく盛り上がっていきます。そして shall not perish from the earth. は見事な結びの音韻になっていて、リンカーンという人の文章の組み立てのうまさがよく分かります。彼はまさに天性の政治家であったのでしょう。

なおリンカーンは1864年の大統領選でも再選されますが、1865年4月、リー将軍が降伏して戦争が終結した直後の14日南部支持者により暗殺されました。

---------------------------------------------------------------------(*1)昨日「今日の特集」のほうでフランス語で80を quatre vingts 4×20と表現するということをいったのですが、英語でもこのように four scoresという似たような表現もあります。


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