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ミレー(1814-1875)

1814年10月4日、現代絵画の先駆けとなったミレー(Jean Francois Millet)が、シェルブールの近くの小さな村グリュシーに生まれました。

8人兄弟の2番目ですが、家はある程度ゆとりがあったようで、ミレーはかなりしっかりした教育を受けています。

19歳頃から絵の勉強を始め、23歳の時にパリに出て美術学校に入りました。いろいろなコンクールに出品しますが落選が続いたあと1840年、26歳の時に「ルフラン氏の肖像」がサロンに初入選。その後肖像画家を目指します。

しかしなかなか仕事もなく生活は困窮を極めます。妻を結核でなくすなどの不幸も乗り越えて、1848年にサロンに出品した作品「バビロンの捕囚」と「麦をふるう人」の内、前者は批判され、後者は好評でした。この当たりが彼の転機になったようです。

彼は古典を題材にしたクラシックな絵を描くのをやめ、屋外で農村を舞台にした絵を描くようになりました。

1849年役所から絵を描いてくれと言われて「ハガーとイシュマエル」をやめて「刈草を干す人の休息」を納品しました。サロンには「座る農婦」を出しています。

1850年のサロンには名作『種を蒔く人』(山梨県立美術館蔵)を出品、その後も、1857年には小学生でも知っている最高傑作『落ち穂拾い』、1859年には『晩鐘』、1870年に『羊飼いの少女』、とこのあと彼の作品には屋外のダイナミックかつポテンシャルなエネルギーに満ちた作品が多数あります。

1867年の万国博美術展では彼の作品のために一室が用意されました。1868年レジョン・ド・ヌール勲章。

1875年1月20日死去。享年60歳。

彼がしばしば滞在して作品を制作した閑村バルビゾンには、彼に影響を受けた多くの画家がその後移り住み、彼らは「バルビゾン派」と呼ばれました。

(時々誤解している人がいますがミレー自身はバルビゾン派ではなく、バルビゾン派とはミレーの後継者たちのことです)

そしてこのミレーやバルビゾン派が発見した太陽光線の使い方が、やがて印象派を生み出して現代絵画へとつながっていくことになります。

なお、彼にとって転機となった作品「バビロンの捕囚」は長くその行方が不明でしたが、1984年になって名作「羊飼いの少女」の下に存在することが偶然X線写真により発見されました。

彼は1870年に普仏戦争が起きたときにキャンバスのストックが無くなり、この自分の古い時代の最後の大作を過去と決別するように塗りつぶし、その上にこの新しい大作を描いたのではないか。

そのように推測されています。画面の中の羊飼いの少女は、そんな作者の気持ちを知っているのか知らないのか、ただ羊たちに視線を送っています。


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